会社の話――編集実況など――

 第1章の原稿がすべてそろった。用語用字の統一と誤字脱字のチェックをパソコンの画面上でおこない、プリントアウトする。第4章と第5章のゲラが届く。プリントを素読みしているところで、トークの時間になる。電車のなかでプリントの素読みをつづける。昨日の作業はここまで。
 今日は、プリントを読んで引っかかった部分を、パソコンのテキストデータに反映する。そして、第1章の本文をメールに添付して、印刷所に入稿。それが終わると、第1章の脚注をプリントアウトして、本文と照合。宮台さんの加筆により、追加すべき新規の脚注が多いため、おそらく脚注の執筆に時間がかかりそう。とはいえ、本日中に脚注も仕上げて、データを印刷所に入稿しなければ。

 今月は決算だ。経理業務は、優秀な会計士さんのおかげで負担が軽減しているものの、すべての取引書店や取次に在庫数の確認をするのが一苦労。さらに、新刊の編集作業と決算が重なっているため、月末から月初めはバタバタしそうな予感。
 来月あたりから、紀伊國屋書店ブックファーストジュンク堂書店などへの納返品は、取次としてのJRC経由に移行する。これで、弊社が出荷する書籍の9割は、取次経由での出荷になる。
 以前のブログでさんざん取次の弊害を指摘しておきながら、情けない奴だと思われる向きもあるだろう。言い訳がましくなるが、直販オンリーを目指したものの、ひとり出版社にはそれが不可能(というか困難)であることを思い知った結果として、理解してほしい。いまでも、条件が整えば、直販オンリーでやれたらいいなあと考えている。 
 大手取次による金融業まがいの経理操作により、夢を見たうえで「国やぶれて山河あり」となる出版社は、今後もあとをたたないと思われる。取次による「パターン配本」なる奇妙なシステムにより、売れようが売れまいが、出版社の本が書店に届けられる。これもまた弊害だ。書店には、注文していない本が勝手に取次から送られてくる。出版社は、書店から注文されていない本を取次に出荷し、それが注文扱いであれば、売れようが売れまいが翌月にはカネになる。
 そのシステムのおかげで、いまの出版社は生きのびているんだ、などと開き直ってはいけない。売れていない本の売上をあてにするのではなく、書店や読者が求めている本を出し、その実売の売上で経営がまわるような体力をつける必要があろう。
 これは自慢していいことだと思うが、『限界の思考』の事前注文数5000部は、すべて書店から直接注文があった分であって、上記の「パターン配本」は一切ふくまれていない。というか、「パターン配本」をするような取次とは、まだ付き合っていない。ようするに、取次経由の押しつけ配本で本を書店に届けるのではなく、各書店の書店人一人ひとりに「この本は売りたい」と思っていただけた本を必要な分だけ届ける、という商売の基本を実践しているわけだ。
 基本を実践していると、書店人が「売れないかも……」と思った本の注文数は、露骨にすくなくなる。注文数がすくなければ、書店での露出度が減少し、売上もかんばしくなくなる。でも、それは当たり前のこと。売れない本をつくってしまった責任は、すべて出版社にあるのだから、そのリスクは引き受けなければならない。
 売れてもいない本の代金を取次に立て替えてもらい、いい気分になるということはあり得ないが、身の丈にあった経営にならざるを得ないという意味でも、「今度は売れる本をつくるぞ!」というモチベーションをあげる意味でも、やはり私は商売の基本を実践していきたい。資金が尽きそうになったら、日雇い労働や警備員でもやって、カネを稼げばいいじゃありませんか。
 だから、これから出版社を起こそうと思っている方は、いろんなスキルを身につけておいたほうがいい。運転免許があれば、宅急便。教員免許があれば、塾の先生。パソコンの技術があれば、事務の仕事。そして身体があれば、臨時の仕事なんていくらでもある。そういう覚悟をしたうえで出版社を起こせば、だいぶ気が楽になると思う。

 上記のとおり、これで弊社が出す本の9割が取次経由となる。しかし、トランスビューが実践している直販システムには、出版流通の希望があると私は思っている。日本の出版業界においては、出版社も書店も取次に依存しすぎている。過剰な依存は危険だ。「取次コケたら、みなコケる」というような、出版業界共倒れの危険性をはらむ体質を改善するためには、直販システムの導入は有効なカンフル剤となりうる。
 私に直販システムの指導をしてくれたトランスビューの工藤さん。討ち死にして取次主導となった出版社の代表がいうのも変だが、彼の試みには、出版業界の夢があるということを、ここでは強く強く確認しておきたい。