護送船団&保身の権化としての新聞労連

 自称イカサマ・アナウンサーの松浦大悟さんが「不機嫌な日常」というブログをやっています。双風舎の著者の情報などがひんぱんかつていねい更新され、とてもお世話になっています。
 本日付の同ブログは、「『労働組合』という名のエゴ」というエントリーです*1。松浦さんは、月刊『マスコミ市民』に掲載された新聞労連委員長の美浦克教さんのインタビューをとりあげ、そのエゴさ加減を批判しています。
 同委員長の記者クラブ再販制度も必要だという話を読むと、かつては組合の良心ともいわれた新聞労連が、すでに労使一体化の荒波にすくわれ、護送船団方式の護持と保身に走り、もはや良識を失いつつあることがよくわかります。
 記者クラブの弊害については、宮台さんや神保哲生さんが何度も何度も指摘していることなので、ここではくわしく触れません。すでに市民(なんて言葉を使うのもイカサマくさいですね)から理解を得られそうにないと指摘しつつ、再販制度は必要だというのは、まったくもって会社側(業界側)の論理を代弁しているにすぎず、会社様があっての組合だということを、新聞労連委員長が素直に認めているとしか読めません。

 すこし脱線します。昨日、東大の安心・安全セミナーで、法政大学社会学助教授の白田秀彰*2さんが「知的財産権/プライバシーの危機」という講義をしてくれました。とても面白かった! ご本人は「暴論」といっていたけれど、私には「正論」に聞こえました。レジュメのまとめ部分を引用します。

知的財産権/プライバシーの危機

情報社会への移行に伴って、「知的財産権やプライバシーが危機に晒されている」という言説が流布している。しかし、これへの対処が、知的財産権の強化やプライバシー保護の法的・制度的強化と結合するとき、情報社会への官僚組織による支配を強化・正当化する結果となる。

過度に「知的財産権/プライバシーの危機」を煽ることは、情報社会の民主的統治にとって、危険である。

問題は、ユビキタス社会を駆動する機構が、a 官僚組織によって支配されるのか、あるいはb ハッカーによって支配されるのか、である。統治に関心をもたない一般の人々は、いずれにしても被治者としての利益と不利益を享受するのであるから、問題は、いずれの統治形態が*マシ*であるのか、ということである。

aの支配については、事前的予測も事後的検証も困難であるが、bの支配については、事前的予測も事後的検証も容易である。ゆえに、論者は民主的な統治を可能とするbの支配のほうが望ましいと判断する。

 とても挑発的で、興味深い内容の講義でした。とりわけ、ふたつの論点が印象に残ります。ひとつめ。わいせつなものであれ何であれ、すべての情報は自由に公開されるべきであり、それが公開されることが「危険だ」という言説は、基本的にマユツバであること。これは、宮台さんがつねづねいっていることにつながります。ふたつめ。知的所有権だ個人情報保護だといっているが、その根拠となっている「法」というものは、フィクションで成り立っているということ。これは、仲正さんがしばしば指摘していることだし、宮台さんもいっていますね。

 さて、ここで話しを戻しましょう。セミナーに参加した某新聞の記者さんが白田さんに、新聞報道のインターネット化が進んでいるが、この先、紙媒体のメディアとしての新聞は生き残っていけるのか、という質問をしました。白田さんいわく、メディアというものは古くから栄枯盛衰を繰り返しているものであり、とりわけ紙媒体のメディアは発展しては滅びるという道を歩んできた。インターネットで各種の無料情報を読む人が激増するなかで、おカネを払って紙媒体の新聞を買う人は、減少の一途をたどることになろう。新聞がなくなる日に備えて、「有能な記者」という「個人」を「ブランド」として市場に売り出せるような準備をしておいたほうがいい。そういう主旨のことを、白田さんはいっていました(以上の白田発言の引用は、あくまでも私が聞き取った範囲で、かつ私の文責で書いています)。
 私も白田さんの予言(!?)は、かなり現実化するような気がします。白田さんは、出版については、「本」という「もの」が人びとの「所有欲」を満足させることから、今後も生き残る可能性がある、といいます。薄っぺらい紙としての新聞は、おそらく人びとの「所有欲」を満足させることができない、ということです。
 で、白田さんからこうした新聞の明るい未来(!?)が提示されると、なぜ新聞労連の委員長が、護送船団方式記者クラブ制度と、利権確保の再販制度を護持すべきだというのかが見えてきます。保身ですね。組合員の権利がどうのこうのというよりも、利権を確保しないとみずからの生活自体がたちいかなくなる可能性がある。会社あっての組合なのだから……。そういう危機感が感じられます。いまは、個々の大新聞の記者さんたちに、そんな危機感はないのかもしれませんが。そのうち大波がやってきますよ〜。NHKみたいな。
 ちなみに私自身は、「それは甘い」と指摘されるのを覚悟でいいますが、再販制度は廃止してもいいのではないかと思っています。現状では、あくまでも「……のではないか」というふうに逃げざるを得ませんが、出版流通の利権を取り払い、もっと自由なかたちにすれば、おそらく読者には、いまよりメリットのあるかたちで本を届けることができるような気がします。あくまでも「気がします」と逃げておりますが……。再販制度維持を掲げる言説は、なぜか「逃げ口上」に聞こえますし、「少部数の良書が世に出回らなくなる」などと主張する大手・中堅出版社の方の言葉は、なぜか空疎かつマユツバに聞こえてなりません。利権保持のための安全地帯からの発言、とでもいいましょうか。 
 このブログを読んでいただいている方がたの、新聞の未来や記者クラブ制度、再販制度に関するご意見をお聞きしてみたいものです。