会社の話 10

 とにかく、見栄えがする程度の数の出版企画が必要になった。創業資金を国民生活金融公庫から借りるときに必要だし、取次や書店と取引契約をするためにも必要だ。
 いま取次と書いた。一般の方には、あまりなじみのない言葉かもしれない。出版社を経営するためには、企画も重要だが、本を売るための流通をしっかりと押さえることも重要だといえる。本を流通させる、ということは、すなわち我が社の本を書店で販売してもらう、ということである。しかし、書店に本を置いてもらうことは、そう簡単なことではない。ここで取次が登場する。以下、本の流通について、ごく短く説明する。ここでは本といった場合、書籍を指すことにしよう。
 出版社が本を書店に置いてもらい、販売してもらうためには、多くの場合、取次をとおす。取次は、本の問屋のような役割を担っている。つまり、「出版社→取次→書店」という経路で、本が流れていく。ここで問題となるのが、本は委託商品として販売される、ということだ。委託とは、書店の店頭で売れなかったものは、取次をとおして返品として出版社に戻してもよい、というシステム。書店で売れなかった本は、「書店→取次→出版社」という経路で返ってくるということだ。
 本の問屋である取次は、出版社と書店との納品・返品を輸送し、売れた分の代金を書店から徴収し、その売上を出版社に支払う。これらの業務を出版社と書店との直接取引でやろうと思ったら、ものすごい労力がかかる。だが、ものすごく労力のかかることを、あえてやっている会社もある。双風舎の師匠だといえる、トランスビューという出版社だ。私にとって、トランスビューの工藤さんは、出版営業の先生である。創業前から創業初期まで、直接取引に関する様ざまな情報をいただいた。本を詰めるダンボールのサイズから、営業用のチラシ作成まで、私がたずねたことに対して、工藤さんはすべて答えてくれた。
 双風舎は創業からしばらくのあいだ、書店との直接取引を主にしつつ、弊社の盟友ともいえる人文・社会科学書流通センター(JRC)という小規模な取次のみと付き合っていた(創業当時の取扱シェアは、直販9割・JRC1割)。その後、「ひとり」で出版社をやることと、直接取引のみで書店と付き合うことは、よほど条件が整っていないかぎり無理だということに気づき、取次経由で本の出荷を開始することになる。とはいえ、私がなぜ創業時に取次と契約せず、書店との直接取引を選択したのかをあきらかにするためには、もうすこし取次に関する情報を提供する必要があろう。何を考える場合であっても、たいせつなのは、なぜそれを「選択したのか」ではなく、「選択しなかったのか」ということなのだから。
 本の流通は、とてもわかりにくい。とはいえ、読者はどのように本が流通しているのか、知っていたほうがよいと思う。自分が書店で本代として支払っている金額には、いったいどんな費用が含まれているのか。以降、流通コストのみならず、製造費用などに関しても、私のわかる範囲であきらかにしてみよう。

 出版は企画が命なのだが、創業時はそれだけに気を使ってもいられない。いい企画があっても、書店に本が届かなければ意味がない。逆に、いくら書店に本が届いても、売れない本であれば意味がない。この問題は、出版人のあいだで意見が分かれる部分だ。たしかに売れなくても歴史に残る名著はある。だが、本を出すということは、こういうことだと私は考えている。
 すなわち、著者の考え方に共感した編集者が、共同作業で本をつくり、その本をひとりでも多くの読者に読んでもらい、共同作業の成果を吟味してもらい、賛否両論の議論を盛り上げてもらう。たいせつなのは、議論を盛り上げることで、そういった作業によって、世の中の嫌な部分や蓋をしている部分、見えるのに見えないことにされている部分に、すこしでも風を送り込めればそれで十分。
 なぜ本をつくるのかという点については、編集者や出版社によって様ざまな方針や意見があろう。現時点で私は、議論を盛り上げるためには、それなりの数の読者に読んでもらわなければ意味がない、と考えている。そしていまの時代は、「売れなくても、歴史に残る良書」を悠長につくっているゆとりなど、ないのではないかとも思う。もちろん、どの出版社もそうしたほうがいい、なんてことをいっているのではない。出版社は、十社十色だから面白い。とはいえ、時代の空気と読者の傾向を冷静に考えてみると、「歴史に残る良書」のプライオリティは、どう考えても低いといわざるをえない。
 では、自分には何ができるのか、とみずからに問い質したとき、いまの双風舎の出版傾向にたどりついたということ。ギャンブル性が高い経営と、時代に浮かぶ浮き草のような出版企画が、どこまで持ちこたえられるのかは、自分でもよくわからないのだが……。

かなまら祭り

 いま届いた月刊誌「サイゾー」6月号をめくっていたら、「男根! 男根! 男根! オカマの群がる世界的奇祭」という記事があった。川崎大師の近くにある金山神社では、毎年4月の第一日曜に男性器を崇拝する祭りがあるそうだ。で、十数年前に某女装クラブが、神社にピンクの男根御輿を寄贈したことから、「すべてが狂ってしまった」とのこと。ニューハーフのお姉さんたちが「でっかいまら、かなまら!」と叫びながら御輿を担ぐのだそうです。
 3月に宮台さんや藤井さんと、愛知・小牧で「ちんぽ祭り」を見物してきたが、記事によれば、川崎の祭りはそのうえをいっているような感じ。
 詳しくは「サイゾー」を読んでみてください。「こんなのありなのかよー」と思ってしまうような奇祭です。とにかく面白い!