誤植について

 10月19日にお知らせしたとおり、『限界の思考』(以下、『限界』という)には誤植がかなり多くあります。読者に対してたいへん失礼であり、とりわけ人名の誤植については穴があったら入りたいくらい反省しております。読書人や書店人、人名や書名の誤植の対象となる方がた、そして著者のおふたりに対し、心より申し訳なく思っています。
 読者のみなさんには、お手数かけますが、今後も誤植を見つけたらお知らせいただきたく思っております。私自身も『限界』を再読しで誤植を確認しつつ、このようなミスをなくすためにはどうすればいいのかということを、しっかり考えていこうと思っております。本が出てしまった以上、私にできることは、誤植に対するお叱りを真摯に受けとめることと、誤植をお知らせいただいたり、自分で見つけたら、すぐに正誤表で訂正していくことだと考えています。
 以下、「なぜこのようなミスが発生したのか」という経緯を、簡単にご説明いたします。その理由は、ミスの原因を冷静に分析し、みなさんに公開することにより、同じミスを繰り返さないようにしたいからです。また、この経緯を説明することが、すなわち弱小出版社の内情をご理解いただくことにつながると思い、書くことにしました。

 まず、『限界』の誤植に関するすべての責任は、私にあります。『限界』は、なかば緊急出版のような体制でつくった本であることから、著者は初校の1度しか原稿をチェックしていません。再校や三校は、私しか読んでいません。
 なぜ緊急出版のような体制になったのかというと、第1に同書を出さなければ弊社の経営がたちいかなくなる可能性が高かったからです。今年に入ってから、『冷戦文化論』(初版1500部)しか出していなかったので、いくら昨年11月に出した『日常・共同体・アイロニー』が売れたとはいえ、それら2冊の利益で1年間をしのぐのは困難です。
 当初、『限界』は6月に出す予定でした。予定どおりに出せれば、経営的には何の問題もありませんでした。しかし、諸般の事情で刊行が遅れ、資金繰りはしだいに厳しくなっていきました。ようするに、このタイミングで出さなければ、資金ショートしてしまうというギリギリの期限が、10月だったのです。
 したがって、『限界』については、準備を万全にしたうえで刊行したとは、とうてい言えません。「この本を出さないと、再来月分の借入金が返せないぞ」と、絶えず尻に火がついているような状況で、作業を進めざるを得ませんでした。
 一方、仲正さんの『デリダの遺言』は、当初9月に刊行する予定でした。とはいえ、『限界』の刊行が10月に確定した時点で、9月と10月に新刊を連続で出すのと、両者を10月に一括して出すのと、どちらがいいのかという選択を迫られました。弊社は、いまだに取引書店の2割は直取引です。流通コストを考えれば、両者を一括して出荷したほうがいい。また、何人かの書店人に相談したところ、一括のほうがいいという意見が多かった。それで、10月に両者を一括して出す方向で、作業を進めることにしました。
 2冊を同時に出すことは、営業や流通の面では何の支障もありませんが、編集については大きな支障をもたらしました。9月に入ると、計736ページ分の原稿と格闘することになり、この分量はどう考えても、ひとりで作業をするのにはオーパーキャパシティだといえます。それはわかっているのですが、尻に火がついているので、どうしようもありません。あとは、できるかぎりのことをやる、という選択肢しか残されていませんでした。
 仲正さんの原稿は、予定どおりに作業が進みました。ところが、『限界』のほうは、5章のうち3章分は9月中に初校が出ましたが、2章分は10月に入ってからのことでした。10月19日までに納品してもらうスケジュールで、10月に入ってから初校が出るということは、ほんの数日のうちに「著者校正と編集者による校正」→「再校」→「三校」→「入稿」という段取りをこなさなければならない、ということです。これは、何人かでやれば可能かもしれませんが、ひとりでやるのには無理があります。この時点で、『限界』について、「この本の校正は甘くなるなあ……」と私は思っていました。
 以上が、経営的な側面とスケジュールの側面から見た場合の、なぜ『限界』にミスが多いのかという経緯です。要約すると、経営難と無理なスケジュール、そして私の能力不足(これがもっとも重大!)が、ミスをもたらした大きな要因だといえます。
 さらに、技術的な問題で、いくつかミスの原因があります。第1に、資金がないことから、2冊の本の校閲作業をすべて私がひとりでやらざるを得なかったこと。これは、資金があれば解決することですが、尻に火のついた状況では、外部の人に校閲を依頼するとができませんでした。
 第2は、6月には北田さんが修正した分の原稿はそろっていたにもかかわらず、「宮台さんの修正が終わったら一気に校正しよう」と考えていた私の判断ミスです。たしかに、用語の統一や脚注の調整などは、本来ならば全文が揃ってからやるものであり、最低でも章ごとにやらないと混乱をまねきます。しかしながら、宮台さんの修正作業が最終的に終わったのが、10月の第一週。内情をいえば、第1章と第2章については、初期段階の原稿チェックから入稿まで、3〜5日間くらいでやらざるを得ませんでした。緊急出版でも、こんなタイトなスケジュールを組まないでしょう。
 第3は、私の経験と能力の不足です。出版業にかかわって、4年弱。うち、編集作業と呼ばれるものを見よう見まねではじめてから2年弱。まだまだ若輩者であり、修行が足りません。にもかかわらず、ひとりで出版社をやろうなどと、かなり背伸びをしているのが実情です。ただただ試行錯誤の日々を送っています。

 以上のような経緯で、『限界』にミスが多発してしまった次第です。著者の原稿が入ってから、印刷所への入稿までのスケジュールがタイトになればなるほど、ミスは増えてしまいます。資金があり、人海戦術を使えれば、例外もあり得ると思いますが。で、ミスが多発する可能性があるのに、かなり強引に本をつくってしまったことが、今回のミスにおける最大の問題であるといえます。しかし、強引にであれ、本をつくらなければ、会社の存続が危うくなる。よって、ミスの発生を覚悟で強引に本をつくるか、資金ショートして店じまいをするか、という二者択一を迫られ、私は前者を選択したということですね。
 会社や私にどんな事情があろうと、ミスの発生を覚悟して強引に本をつくった結果、多くの誤植が見つかることによって、気分を害されるのは読書人や書店人、人名や書名の誤植の対象となる方がた、そして著者のおふたりです。以上のみなさんに対して、再度、深くお詫びいたします。新刊の誤植については、上記のとおり、正誤表(もしくは、重版)にて速やかに訂正させていただきます。そして、今後はこのようなミスが起きぬよう、資金的にもスケジュール的にも、ゆとりをもった本づくりができるような環境を整えるべく、努力いたします。
 どうか、今後とも双風舎の書籍を、よろしくお願いいたします。

 ※正誤表はこちら→http://homepage3.nifty.com/sofusha/html/books/seigohyou_gennkainosikou.html