伝統のある街の嫁はたいへん!? その1

私の住む街は、鬼平犯科帳に登場したり、落語の舞台になったり、寺がやたらとたくさんあったり、有名な商店街があったり、古い民家があったりということで、休日になると多くの人が散策をしています。
いくつもの町会があり、祭りになると各町会が中心となって、神輿や盆踊りなどが準備されます。祭りや行事の数は、「またお祭りだ」と驚いてしまうくらい多く、そのたびに町会を中心とする地域の組織が大活躍しています。
町会のみならず、町会をまとめる組織などもしっかりしており、だからこそ伝統行事がすたれずに、脈々とつづいているのだと思います。つまり、ここは、伝統のある街。

さて、伝統のある街には、行事が脈々と引き継がれるように、脈々とつづいている地元に根差した家族も多いようです。そうした古くからこの地域に住む人びとによって、伝統と呼ばれるようなものが保存・維持・継承されているといってもいいでしょう。
さまざまな技術がすすみ、古いものが忘れられ、ヴァーチャルなものがリアルに転じることが当然のことになった現在。よき伝統なるものをいかに残していくのかを考えることは、最先端でヴァーチャルな世界から一歩、身をひいて世間をながめるのに、たいせつな問題だと思います。
つまり、こうした伝統の保存・維持・継承といったことは、伝統のある街のよい面だといえるのではないでしょうか。

だがしかし……。流動性が高くなる一方の現代社会で、伝統の保存・維持・継承といったよい面を発揮する伝統のある街が、ある側面ではたいへんなことになっているようです。その問題は、おそらく都市と地方の差異とか、田舎町の人間関係の特徴といったかたちで、さまざまな場面で紹介されていることかもしれません。とはいえ、東京都の山手線の内側で、そういった事態がリアルタイムで進行していることを知るにつけ、私は驚きを隠しきれない気分です。
その問題とは何か?

それは、伝統のある街で古くから暮らす家族に嫁入りした嫁の苦難です。フジテレビ「こたえてちょーだい」の世界ですね。次回に紹介する事例は、あくまでも噂話で聞いたことなのですが、あまりにも同じような事例を噂で聞くことが多いのです。
夫の家に嫁入りした女性の苦難については、かなり普遍的な問題だといってもいいかと思います。カンボジアでは、嫁姑の確執を避けるがごとく、婚姻の基本形態は婿入り婚となっていました。
で、長年の経験と知識をもとに、嫁入り婚というもの自体が減っていて、親夫婦と子どもの夫婦が別居するというのが、いまの日本ではかなりスタンダードな姿なのだと私は勝手に考えていました。だかしかし、そうではなかった……。
幼稚園や保育園、学校などで毎日会っていたお母さんが、いきなり来なくなって、代わりにお父さんやその父母、兄弟が子どもの送り迎えをするようになる。いつも子どもと散歩していたのはお母さんだったのに、いつのまにかお父さんと散歩する姿しか見かけなくなった。身近な人が、こうして目に見えるかたちで変化していることに驚きつつ、なにかがおかしいなあと思ったりしています。

次回、紹介するのは、東北の山村で進行している話ではなく、東京の山手線の内側で起きていることです。
あと、この話は内藤さんの画像とは、一切関係のない話です。あしからず。

つづく