悲しい事件――朝鮮学校の生徒への嫌がらせについて考える――

lelele2006-07-12


北朝鮮がミサイルを発射してから、朝鮮学校の生徒への嫌がらせがおきているようです。

朝鮮学校の生徒に嫌がらせ60件以上 ミサイル発射後

 「東北アジアの平和と日朝国交正常化」をテーマにしたシンポジウムが11日、東京都千代田区で開かれた。朝鮮半島情勢に詳しい研究者らが400人の参加者を前に、北朝鮮のミサイル発射を踏まえて北東アジアの平和への課題を議論した。
 李鍾元(リー・ジョンウォン)・立教大教授は日本政府の対応について、「制裁や圧力の強化だけでは状況を不安定にする可能性が高い」と指摘した。在日本朝鮮人人権協会の宋恵淑(ソン・ヘスク)さんは、ミサイル発射後、朝鮮学校の生徒への嫌がらせが全国で60件以上あったと報告した。

asahi.com 2006年07月12日06時47分

嫌がらせをする人たちには、もし自分が同じような嫌がらせをやられたら、どう思い、どう感じるのかという想像力が欠如しているのでしょうか。現在の北朝鮮という国といま朝鮮学校にかよう生徒たちには、どのようなつながりがあり、どのような歴史があり、その両者がどれだけ浅く(または深く)関連しているのかということを、すこしでも考えたことがあるのでしょうか。

嫌がらせをする人たちは、ここは日本だから自分は嫌がらせをされない、と思っているのでしょうか。自分は安全地帯にいると思いながら、安心して他人に嫌がらせをしているのでしょうか。自分が安全地帯にいるなんて思うのはまったくの錯覚であり、嫌がらせをしている人が朝鮮学校の生徒の立場にたたされる可能性なんて、いくらでもあるんじゃないのかなあ。そうやって立場が反転し、自分が嫌がらせをされる立場になったことを想像すれば、「北朝鮮がアホなことをやったから朝鮮学校の生徒たちに嫌がらせをしてもいい」なんて安直な発想は、けっして出てこないでしょう。

それとも、自分が日本社会のなかで、どこぞのだれかに何らかの嫌がらせをうけたルサンチマンが、朝鮮学校の生徒への嫌がらせへと向かわせているのでしょうか。もしそうならば、卑劣な行為としかいいようがありません。怨念を連鎖させることがもたらすのは、暴力の再生産だけなのですから。

怨念の連鎖と暴力再生産の関係は、私が研究していたカンボジア大虐殺においても見られた現象です。ポルポト時代のカンボジアでは、指導者層から一般の人びとに対して、怨念をぶつけるべき対象が、ほとんど指導者層の「気分」にもとづいて、たえず提示されていました。アメリカ、CIA、ソ連KGB、そしてベトナム……。ポイントは、個々人の怨念が連鎖して控えめな暴力として表出するというよりも、旗振り役によるお墨付きが個々人の怨念を正当化し、自信を持って暴力が表出されるという点です。

北朝鮮のミサイル発射は、どう考えても問題視せざるをえません。しかしながら、そのことと朝鮮学校の生徒をストレートに結びつけてしまうような発想は、これまた問題視せざるをえません。

いずれにしても、このような嫌がらせをする人や嫌がらせを支持する人たちに、ぜひ『チマ・チョゴリ制服の民族誌』を読んでいただきたいと思っています。