『バックラッシュ!』――斎藤美奈子さんの書評が『論座』に!――

lelele2006-08-07



論座』2006年9月号に、斎藤美奈子さんによる『バックラッシュ!』の書評が掲載されました(同誌317ページ)。誠にありがたいことです。以下、たまには書評にレスを入れてみるのもよいかと思いたったので、しばしお付き合いください。

まず、書名が『バックラッシュ!』、副題が「なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?」、帯のコピーが「男女平等で何が悪い!」という点について、斎藤さんは「キーワードの三方固めで注意を喚起する。周到に仕組まれた本だといえる」と書かれております。まったくそのとおりで、周到に仕組んでみました。帯のコピーを読んで「男女平等」賛美の本だと勘違いする方が散見されましたが、それは想定内のことでした。本文を読めば、そのことが「ある意味ではホント、ある意味ではネタ」であることがわかる仕組みになっていますし、また三つのキーワードを組み合わせると「第三の道」につながっていくという「隠喩」も、カバーとオビの文字列には含まれております。

重要なことは、「バックラッシュジェンダーフリー、男女平等」という三つの言葉をひとつの平面(カバー表1)に置くことであり、まさに斎藤さんが指摘するように、そうすることによって注意を喚起したかったというのが私の思いでした。

「2002年ごろからめきめき勢いづいてきた」バックラッシュの動きに「対抗すべく編まれたのが本書」であり、産経新聞や『正論』「お得意の爆笑論文を『愛読』してきた私も刊行を心待ちにしていた」そうです。斎藤さんから心待ちにされるとは、なんて幸せな本なのでしょう!

「本書の執筆者の中にも『ジェンダーフリーではなく男女平等でいいじゃない』派と『セクシュアル・マイノリティをも含むジェンダーフリーのほうが望ましい』派が混在していて、当たり前だが、用語ひとつとっても一筋縄ではいかないのだ」としつつ、その点については「新たな論争の火種も見えかくれする」と斎藤さんは指摘する。これはおっしゃるとおりです。私も企画の当初は、「バックラッシュ派 vs 反バックラッシュ派」という図式で議論が展開するのかと思っていました。しかし、論文が集まり、それらを読んでいるうちに、反バックラッシュ派のなかで「男女平等」や「ジェンダーフリー」といった概念に対する考えが異なっていることを知り、たとえ「バックラッシュ」が片付いたとしても、同書で提起したさまざまな議論が一筋縄では終息しないことを理解しました。

同書の議論の「全部についていくには多少の素養が必要かもしれない」という斎藤さんのご指摘も、ごもっともだと思います。議論についていっていただくために、用語解説や「注」を充実させたつもりです。とはいえ、仕上がった本は、バックラッシュ問題に関心がある「初心者」にも読める論文はありますが、全体的には「中級者」くらいの予備知識が必要なのかもしれないなあと思いました。

斎藤さんが、宮台論文について「半分に縮めて後ろにまわしたほうがよかったよ」と述べていますが、半分はごもっともで、半分は弊社なりの理由があることでした。宮台さんの論文が長くなったのは、はじめに仕上がった原稿には読者から誤解をまねく可能性のある表現が多かったため、全体にわたる修正をお願いしたからです。結果として宮台さんは、多少の加筆・修正と徹底した注をつけることにより、誤解されないようなかたちの論文に仕上げてくれたわけです。ところが、その加筆・修正と注とで、私が想定していたページ数をはるかに超えること(当初は60ページを予定。最終的には約100ページ)になりました。

読者の持久力とほかの著者とのバランスを考えれば、宮台論文については当初に予定していた分量が妥当であることは承知していました。でも、入稿が迫っており、最終的にいただいた原稿を短く調整する時間的なゆとりがありませんでした。ですから、宮台論文が長いと斎藤さんにいわれるのは、当然のことだと思います。と思いつつも、宮台論文は同書において重要な位置を占めていますし、加筆・修正と注により内容は当初よりも充実しましたので、分量が多くなったことについて後悔はしておりません。

一方、宮台論文を後ろに回す件ですが、これは原稿執筆者が確定したときから、「巻頭は宮台、巻末は上野」という線で決めていたので、まったく後悔はしておりません。「ツカミ」と「シメ」をおふたりにお願いした、という位置づけですね。

さらに斎藤さんは「表紙カバーの執筆者名に大小の差があるのもどうかと思うし」と述べております。これも弊社が意図的にやったことです。ラフの段階では、大きなフォントで書かれた四人の執筆者しか、カバーには掲載しないつもりでした。その理由は、まったくもって営業的なものです。多くの人が参加している共著本や雑誌のつくりにならい、知名度のある執筆者をできるだけ強調したかったのです。基本的に、共著本というのは内容いかんにかかわらず、「共著本」というだけで単著本よりも売りにくいものです。ですから、その点をどうにかするための苦肉の策として、四人の名前のみを出そうと考えていました。
しかしながら、カバーをつくっているうちに、やはり執筆者全員の名前は出したいなあと思い直しました。そこで、上記のような「共著本の法則」から逃れつつ、全員の名前をカバーに掲載するためにはどうしたらいいのか、と考えた結果、現在のような「大小の差」でそれをクリヤーしようということに落ち着きました。

書評の最後で、「親切な用語解説などもあり、現状を俯瞰するには便利な本。いわゆる女性学とは専門を異にする多様な論者の立ち位置に『いま』を感じる」とお褒めの言葉(?)を斎藤さんにはいただきました。ありがたきしあわせでございます。

いろいろ書きましたが、なにはともあれ、斎藤さんに『バックラッシュ!』の書評を書いていただいたということ自体に、大いなる意味があると私は考えております。そして、書評を読んだいま、「あまり怒られなくって、よかったなあ」と思っているところでもあります。