保守・コピペ・ニセ科学

lelele2007-01-15



論座』2月号を読みました。

小林よしのり vs. 『論座』編集長 対談
何よりも、元政治部記者だったと語る編集長が、話の節々で自分の価値観を押しつけているのが気にかかりました。対談だから、それでもいいのかもしれないけれど、一応はゲストを呼んでいるのだから、慇懃無礼な話の聞き方は読んでいてあまり気分がよいものとはいえませんでした。
小林さんの保守に関する発言は、これまでのものとかわりがありません。自衛や核武装については、あいかわらず「どうか」と思います。ある意味ではカメレオンのように変化自在な人だと思うので、理論的には反対側にいる人であっても、彼を説得して味方につけるのは意味のないことではないと思います。
なんてったって、『戦争論』シリーズ累計160万部ですからね〜。


■特集 コピペ化される教養
これだけパソコンやらインターネットが普及しているのだから、文書作成に際してのコピペをどうこう議論しても仕方がないと思うのですが。「ハイデガーがこういっていました」ということを、自分で考えた文章で表現するのもコピペで表現するのも、表現上はあまりかわりがないでしょう。
あまりかわりがなくても、つまらなかったり、あまりにもあからさまなコピペをしていれば、誰にも読まれないだろうし、論文としても高得点はもらえないと思います。コピペで論文を書いて大学の単位が取れなくなったら、そこで気づきが生まれるんだから、それでいいんじゃないのかな。それでも懲りずにコピペをつづけていたら、あとは好きにやってくださいという感じですか。

教養の問題は、コピペがどうのというよりも、本人が教養を持てるような環境にいるのか(その環境をどう設計するのか)とか、教養を学ぶモチベーションがあるのか(いかにモチベーションを持たせるか)ということなのでは。
そういう環境をつくれていないことや、子どもや学生に教養を学ぶモチベーションを持たせるべく工夫していない側の人たちのほうが、私には問題であるように感じました。


■特集 蔓延するエセ科学
いまさらながら『水からの伝言』(アイ・エイチ・エム)という本の存在を知りました。特集では、ふたりの科学者と教育学者、そして評論家の山形浩生さんが同書やエセ科学を批判しています。
同書は、ようするに「水は言葉を理解する」ということを主張しているとのこと。文字を書いた紙をビンに貼り付け、そのビンに水を入れることにより水に言葉を「見せる」。言葉を「見せた」水をシャーレに落とし、冷凍庫で凍らせたあとで水の結晶をのぞく。すると、美しい言葉を「見せる」と結晶が美しくなり、醜い言葉を「見せる」と結晶も醜くなる、とか。

こういうトンデモ的なことは、誰も知らないような場所でちょこちょこやっているぶんにはよいと思います。勝手にどうぞ。しかし、『水からの伝言』シリーズが(自称)17万部も売れていたり、有名人(オノ・ヨーコ倖田來未ユーミン、そして例によって窪塚くんなど)が賞賛していたり、公教育の道徳の授業で同書が教材として使われていたりするのは、ちょっとまずいことだと思います。

科学者がトンデモ的な言説を批判することは、ある意味ではサンドバッグを叩いているような虚無感があるものだと思います。それを覚悟で科学者がきっちりとした批判をはじめるということは、そのトンデモ的な言説が見過ごしておけないような影響力を持ったときなのかもしれません。ゲーム脳しかり、ですね。
魑魅魍魎のごときトンデモ言説に対して、誠実に批判を展開している菊池誠さんと田崎晴明さんというふたりの物理学者の態度には、たいへん好感を持ちました。