憲法9条をどうする!?


一昨日のNHKクローズアップ現代」は、憲法9条がテーマでした。


護憲の立場からは、井上ひさしさんが登場。憲法をわかりやすく、親から子へ、おとなから子どもへ語り継ぐことのたいせつさを語っていました。

つづいて、財界人がふたり登場。ひとりは、改憲派の高坂節三さん(経済同友会の前憲法問題調査会委員長)。商社で海外勤務をしていたときに湾岸戦争が起き、まわりの外国人から日本の戦争不参加を問い質されたことを契機に、改憲を考えるようになったとか。もうひとりは、護憲派品川正治さん(経済同友会終身幹事、元・日本興亜損保社長)みずからの戦争体験にもとづき、財界のなかで反戦平和を訴え続けているそうです。

そして、憲法と若者というコーナーで、作家の雨宮処凛さんと「31歳、フリーター、希望は戦争」の赤木智弘さんが登場。護憲派である雨宮さんが労働問題をとおして若者と積極的に対話している様子が紹介され、その若者の代表として「改憲でもいい」という赤木さんの発言が取りあげられていました。

最後に登場したのは、憲法学者でありながら改憲を主張して注目された小林節さん(慶大教授)。小林さんは、大学院の授業で護憲派伊藤真さん(伊藤塾塾長)を招き、憲法改正に関する議論を改憲派護憲派の直接対決というかたちで公開しているそうです。


以上が番組に登場した人びとです。井上さんのコーナー以外は、いかにもNHKといえるような両論併記を繰り返す内容でした。でも、最後の小林さんが改憲だから、井上さんの部分と相殺されて、けっきょく全体が両論併記ということでしょうか。

私自身は、憲法が国民による統治権力への命令であるという観点から、政治家や財界が改憲を推進するのは大きな間違いだと思っています。しかし、ゴリゴリの護憲派というわけでもありません。ここでは9条、それも財界が主張する改憲議論にしぼって考えてみます。


番組によれば、経済同友会の会員の9割が改憲に賛成しているとのこと。それはそうでしょう。名目はなんであれ、海外進出した企業のセキュリティを国家が確保してくれたら、企業の経費削減に貢献しますから。

一部の右派的な思想信条をもつ政治家が、みずからの信念を達成するために改憲を主張する。一方、財界人の多くが「グローバル化」などというマジックワードを出して、みずきらの利権を確保するために改憲を主張する。両者の目的は異なるけれど、改憲の主張は一致しているから、政治家が改憲を達成すれば財界からカネやら天下り先の仕事などが転がり込むでしょう。また、国家が海外進出した日本企業を守ってくれれば、セキュリティの確保に必要な経費が激減し、その分を政治家に分配できる。

このように利害の一致を見た政治家と財界人が、マッチポンプのごとく改憲を主張し、その結果として国の歳費から軍備にいまよりカネが使われていく……。そんなカネがあるのなら、雨宮さんの取材対象である「プレカリアート」や、生存権をおびやかされながらぎりぎりの生活を送る日本の若者に、先にカネを使ったほうがいいと思わざるを得ません。

品川さんが語っていましたが、海外に進出する企業の安全は、それこそ自己責任で企業自身が確保するものです。当たり前でしょう、そんなことは。企業は「営利目的」で海外に出るわけですから、国家が歳費を使って軍備を整え、「営利目的」で進出する企業の海外での安全を確保する必要は「ない」。日本という国家は、海外に滞在する日本人「個人」の安全を確保すべきであって、「企業」の安全までをも確保する必要はないと私は考えています。


いずれにせよ、国民の多数が改憲が必要だと思うのであれば、改憲してもいいのではないかとも考えています。改憲する必要がないと思うのであれば、しなくてもいい。ポイントは「国民の多数が」という部分です。上記では憲法9条の改憲議論(それもほんの一部分)を見てみましたが、国民不在の状態で、政治家と財界の論理により改憲されてしまったらたまりません。

とはいえ、憲法を考える場合に、その前提となる問題は山積しています。たとえば、「国民の多数」とはどれくらいの人数なのか。国民の一人ひとりがどれだけ憲法について理解しているのか。改憲を議論するのであれば、この山積した問題をひとつずつ解決する努力をしたうえで、議論してもらいたいものです。国民を煙に巻いたままで放置し、何気なく変えてしまおうとするのでは、「ズルい」といわれても仕方がありませんね。


憲法(法学)は数学や物理学と異なり、明確な解答が得られるものではないので、けっきょくは護憲派改憲派で直接議論をしながら、結論を模索していくしかないと小林さんが語っていました。そのとおりだと思います。でも、こと憲法に関していえば、専門家だけが議論をかわすのでなく、できるだけ多くの国民が憲法に関して議論ができるような土壌が必要なのだと思うのですが。

そうなると、もし政府が改憲を目指しているのなら、まず取り組むべきことは、必然的に現行憲法の国民への啓発ということになるでしょう。護憲派にしても、守るべき憲法の本質を理解していない人びとに対して、いくら「守ろう!」といっても、議論が空回りしてしまうだけになると思います。現行憲法についての理解がないのに、どうして改憲について語れるのか。国民による権力への命令としての憲法なのに、国民がその命令の内容を理解していないのはおかしいし、命令の内容を権力が勝手に変えてしまうのはもっとおかしいのではないか。

こう考えてみると、護憲にしろ改憲にしろ、議論の前提となる「国民の現行憲法への理解」という土壌が整っていないのに、二項対立で議論を交わしていることについて、大いなる違和感を感じます。


最後に、憲法9条のみに関していうと、人間には暴力への飽くなき欲望があり、戦争がその欲望を達成する手段として機能するのであれば、軍備を持たずに戦争を放棄する姿勢自体は、人間の本質的な負の欲望を規制する有効なものとして維持するべきだと思います。

人間の暴力欲求は、歯止めがないと、その本性をむき出しにして拡大再生産していきます。もし9条がその歯止めとして機能するのであれば、変える必要はないというのが、現状での私の考えです。すくなくとも、上記で述べたような政治家と財界の談合のようなかたちで、9条の改正が語られることについては反対です。