なぜ刊行前の原稿をwebで公開するのか

lelele2007-06-19



ただいま、仲正さんの新刊をつくっております。
連載中の「思想の死相」です。


原稿の整理や営業などで、更新が遅れてすみません。
カバーのデザインが決まりましたので、公開いたします。


さて、出版論をやっている東大の授業でしばしば話題になるのが、テキストデータのweb公開とその書籍化の問題。つまり、本にすべきテキストデータをwebで先行公開してしまったら、書籍化の際に売れなくなってしまうのではないか、ということですね。


斎藤さんと茂木さんの往復書簡を公開しはじめたときにも、webで公開せずに、いきなり本にすれば話題性もあるしインパクトもあるので売れるのでは、とどこかのブログに書かれておりました。もっともな考え方だと思います。


私は、ふたつの意味で、書籍化する予定のテキストを公開しています。ひとつめは、連載のパワーを利用させていただくことにより、より多くの人に弊社webページを訪ねていただくこと。会社の認知度を高める目的です。ふたつめは、話題性のある問題については、書籍化するからといって、話題に関連するテキストを出し渋るよりも、その話題が盛り上がっているときにテキストを公開するほうが、テキストの書き手にとっても、それを編集する者にとっても、満足のいく結果が得られる可能性がある、ということです。


テキストをwebで先行公開すると、そのテキストを書籍化したときに売れなくなるのかどうか。私は、さほど影響はないと思っています。たしかに、テキストをプラウザで読んだり、プリントして読んだら、それで満足のいく人もいることでしょう。とはいえ、そのテキストを紙に印刷し、カバーやオビなどをつけたうえでコンパクトなモノとして刊行する。さらに、そのモノを手に取り、ページをめくりながら読むのは、web上でテキストを読むのとは異なった行為ですし、読むことに対する満足度もことなると思います。


テキストとしては、webも書籍も同じものが掲載されています。しかし、そのテキストをどう読むかという部分で、webと書籍とでは差異が生じます。出版社は、持ってる原稿を「公開してしまうと売れなくなる」などと考えて、けちけちと出し惜しみするのではなく、webと書籍との差異を最大限に生かすことによって、書籍というモノを売っていくようにしないと、生き残るのは困難になるような気がします。


著者としても、みずからが書いたテキストがwebで公開され、書籍を刊行する場合よりも多くの人の眼にふれ、参照されることに、それなりの意味を見いだすかもしれません。出版社としても、ただただ本を出すのではなく、著者の言説を多くの人に知ってもらうためのお手伝いをさせていただくことには、執筆料として印税を支払う以上の意味があるような気もします。


と、いろいろ書いていますが、私としてはあくまでも、おもしろそうな試みを著者と相談しながら実行しているだけなので、その結果がどうでるのかは、じつのところよくわかりません。たとえば、テキストをwebに先行公開した本が、先行公開しない本よりも売れたのかどうか、などということは、同じ内容のテキストでは試しようがありませんので、よくわかりません。よくわからないけれど、とりあえずやってみようか、というのが実状です。