宮台さんの「亜細亜主義」をどう考えるか

 前回、カンボジアの現代史を事例にして、歴史上の出来事(とりわけ戦争)の本義と実践が、いかに乖離しているのかを検討してみました。乖離している、といっても、本義を定めた当初は実践が乖離していなかったが、だんだんと乖離してしまった場合と、本義を定めた時点で戦略的に乖離していた場合とがあることには、注意が必要です。
 いずれの場合も、事態が進行しているときには、一般の人びとは本義と実践の乖離に気づかないことが多い。あとになって検証してみると、「そういえば……」という感じで乖離に気づくわけですね。また、政府が政策ミスに関する都合の悪い文書を燃やしたり紛失したことにすることにより、乖離を隠蔽することも多々あります。
 歴史を検証する際に、もっとも有力となるのが文書です。オーラル・ヒストリー(人の証言)も重要ですが、人間は記憶に何かを付け足したり、差し引いたりするということを熟慮したうえでの資料として扱わざるをえません。
 カンボジアのことでいえば、まずアメリカ傀儡のロンノル時代に関するカンボジア側の文書は皆無に等しいし、アメリカ側でもアメリカに都合の悪い文書は、ほとんど見つかっていません。ポルポト時代になると、カンボジア側の文書が皆無なのは同様で、中国にあるはずの当時のカンボジア政策に関する文書も、中国が一切開示しません。すべて廃棄した可能性もあります。さらに、ベトナム統治以降の文書については、その多くがベトナムにあると思われますが、ベトナムはこれを開示しません。
 こうなってくると、カンボジアの現代史に関する客観的な検討は、人の証言を主にしておこなうほかありません。空爆の被害については、被爆地点の状況を調査し、虐殺については人骨の掘り起こしなどで、かろうじて客観情報が手に入るくらいです。
 ややこしいので論点をしぼります。以上のような前提で考えた場合、ベトナムポルポト時代のカンボジアに入り、カンボジアの人びとを「解放」したことは、「侵攻」なのでしょうか。それとも「侵略」なのでしょうか。
 日本のマスコミや左翼陣営は、中国の共産主義ポルポト政権と社会主義ベトナムが戦闘をしたということで、かなり混乱していました。イデオロギーで考えれば、仲間割れをしているようなものですから。私は、虐殺政権から人びとを救ったという意味では「侵攻」と表現すべきだと思いますが、「侵攻」後の傀儡政権樹立からベトナム軍撤退までの間接統治を考えれば、「侵略」だともいえるような気がします。

 このようにカンボジアの現代史を取りあげたうえで、何がいいたいのか。ある国と国のあいだで戦争や紛争が発生した場合、いずれの当事国も戦うための大義を定めたりします。しかし、その大義と実践は元から乖離していたり、だんだんと乖離してきてしまう。そして、大義から乖離した実践の現場をある場所から見ると「解放」に見え、別の場所から見ると「侵攻」、さらに別の場所からは「侵略」と見えるようなことがありえる、ということをいいたかったのです。カンボジアは悲しいくらい、そういったことを考える際のわかりやすい事例になる国だといえます。

 カンボジアはわかりやすいが、日本における「亜細亜主義」の本義と実践の乖離は、なかなかわかりづらい。そもそも、日本の学校教育では「亜細亜主義」について、高校以前の段階では、ほとんど教えていません。だから、わかりづらいというよりも、わからなくて当然だというのが実情だともいえます。
 大学以降の歴史教育でたまたま教わったり、社会人になってから興味を持って学んだりすることも、すくなからずあることでしょう。とはいえ、すでに書いたように、自主的によほど深く学ばなければ、「亜細亜主義」と書かれていると大東亜共栄圏を連想してしまうでしょう。逆に、「アジア主義」と書かれていれば、戦後の左翼を連想してしまうかもしれません。
 「亜細亜主義」というものは、戦中において軍部に利用され、本義と実践が乖離してしまった。英米に屠られないために、アジアの諸国はお互いのメリットを尊重しつつ、共同体のようなものつくり、地域的な自立を目指そうではないか。こうした「亜細亜主義」の本義は、「盟主が日本である」という点を除外すれば、いまでも有効なツールとして使える可能性がある、と私は考えています。同じようなことは、「東北アジア共同の家」として、姜尚中さんらも提案していますし。
 だがしかし……。いくら本義がいまも参考になるからといって、実践面では軍部によって汚された「亜細亜主義」という「言葉」を、あえてそのまま使うことが、いま「亜細亜主義」をシステムやツールとして使う際に、有効な戦略なのかどうか……。
 この私の疑問に対して、宮台さんは「今後も亜細亜主義という言葉を使っていきます」ときっぱり答えました。そのおもな理由は、第一に、盟主がいないということを明示すれば、「亜細亜主義」の本義はいまでもそのまま有効活用できると考えていること。第二に、新聞などで「亜細亜主義」という言葉をつかっても、ほとんど拒絶反応が返ってこなかったこと。つまり、「亜細亜主義」の本義を理解し、参考にするためには、あくまでも「亜細亜主義」という言葉を使うことが有効であり、もしかしたら拒絶反応があるかと思ったが、それほどなかったので、使ってもよいと判断した。そういったことを宮台さんがいっていたと、私は解釈しました。

 たしかに、40歳以下の人にとっての戦前・戦中・戦後の歴史というものは、ある程度の専門的な教育を受けないかぎりは、かぎりなく白紙に近いものだと思います。だから「亜細亜主義」の本義などといっても、意外にペロッと飲み込んでしまうかもしれません。学習方法さえ間違わなければ、きっとそうなることでしょう。一方で、戦争体験者およびその体験談を繰り返し聞かされてきた世代にとっては、いまも、これからも、「亜細亜主義」という「言葉」がドロドロとした澱のようなものとして、理解されていくような気がします。ようするに宮台さんは、明日の日本を築く世代に、「亜細亜主義」の本義を理解してほしいと思っているようです。
 もう一点、忘れてならないのは、東アジア諸国の受けとり方です。宮台さんは、韓国や中国の人に「亜細亜主義」について説明すると、とくに抵抗もなく受け入れてもらえるといっていました。これも日本と同様に、世代の問題がポイントになろうかと思います。すなわち、戦争体験者は嫌悪感を示し、若い世代はペロッと飲み込む。もちろん国によっては、若い世代にいたるまで体験者による語り継ぎがおこなわれているかもしれません。また、歴史教育で、被害的な側面が強調されつづけている場合もありましょう。
 しかし、こうもいえます。あくまで私見ですが、歴史認識の差異は、第一に、ネット社会が進化したことによる情報の共有化と、第二に、切っても切れぬ東アジア諸国の経済的な利害関係により、乗り越えることが可能なのではないか。自民党の大物議員でさえ、小泉首相に「靖国参拝、やめたほうがいいよ」と助言する昨今の状況を見ると、それが机上の空論ではないともいえそうです。

 と、いろいろ書いてきましたが、いまの私は、ゆずれない前提さえ共有できるのであれば、「亜細亜主義」の顛末に学ぶという宮台さんの持論を支持し、「亜細亜主義」という「言葉」をそのまま使ってもいいのではないか、と思っています。ゆずれない前提とは、第一に、他国のほんとうの姿や考え方をすべて理解するのは、不可能だと自覚することです。第二に、とはいえ理解しようという努力をすることは可能であり、「すべて」は無理であっても、おたがいに最低限の歴史認識を共有できるようにする必要があること。第三に、歴史認識を共有する際に、イデオロギーを排し、不必要だと思われる価値とうまく折り合いをつけることに気を配る、ということです。
 これらの前提がクリヤーになれば、私は宮台さんの「亜細亜主義」を支持します。宮台さんの「亜細亜主義」はきっと、米国にズルズルベッタリの日本の現状に、大いなる刺激を与えてくれることでしょう。

 以上の「亜細亜主義」に関する記述は、文献などをまったく参考にせず、すべて私のあいまいな記憶によって書かれています。また、宮台さんに関する記述は、あくまでも宮台さんの話を聞いたうえで、私個人が「こういっていたのであろう」と理解した部分を書いてみました。
 当たり前のことですが、本ブログ上のすべての文責は私にあるということを、念のため断っておきましょう。私ごときの駄文で宮台さんに迷惑がかかってはいけないので。

 なお、次回の思想塾も、前半は同じテーマで議論する予定です。余力があれば、このつづきは、そのときにでも書いてみます。


竹内好「日本のアジア主義」精読 (岩波現代文庫)

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亜細亜主義の顛末に学べ―宮台真司の反グローバライゼーション・ガイダンス

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