マネーの記事について

 前々回に「週刊SPA!」の話題を取りあげました。話の流れで、巻頭コラムに関する記述になってしまいましたが、ほんとうはマネー記事について書こうと思っていました。よって、今日はマネーに関するネタを取りあげます。
 編集作業の実況は、著者からの原稿が入ったら再開しますので、しばらくお待ちくだされ。

 同誌をながめていると、「マネー」や「株投資」「金融」などといった文字が、ほぼ毎号にわたり踊っています。そういった文字群に、私がまったく興味がないからなのかもしれませんが、どうしても「そんなに毎号、カネのネタを書いて、読む人がいるのかなあ」などと思ってしまいます。
 おそらく、読む人がいるのでしょう。まあ、資本主義だし、株主が投資しなければ企業は存続できないことが多いのでしょうし、できるだけカネを儲けて豊か(に思える)な生活を送りたいのでしょうし……。でも、雑誌などでマネー記事を目にするたび、ちょっと違うんじゃないのかなあと思ったりもします。
 株式投資や仕手というのは、いまやディスプレイのうえで数字を動かすことによって、得したり損したりするシステムですよね。現金が動きません。支払にしか使わないけれど、クレジットカードも似たようなものだといえます。現金を持っていないのに、誰かが立て替えてくれることにより、モノが買えてしまいます。
 いずれも架空のお金が基準となっている、という点が、どうも私には気になって仕方がありません。なんだか中学生みたいな議論ですが。
 ちなみに私は、株に手を出したこともないし、クレジットカードをつくったこともありません。前者については、別にトレーダーなど株に関わる職種の人を馬鹿にしているわけではありませんが、ディスプレー上での数字いじりで架空のカネを操作することに、まったく興味はないし、そんなふうにカネを儲けたいとも思いません。
 後者については、カネを持っていないのにモノが買えてしまうという不自然なシステムに、強い違和感があるので、つくっていません。企業は、生産したものを消費してもらい、その利潤で働いている人にカネを払います。よって、人びとの消費欲求がなければ企業も存続しないし、給料もない。ですから、モノを買うという欲求を持つのは、社会がまわるために必要なことだともいえます。
 でもね、実際にカネを持っていないのに、モノを買う(または買えてしまう)のって、どうなのでしょうか。買う方にも責任があるし、買わせるようなシステムをつくるほうにも責任があるとは思うのですが。株の場合だと、大量の人のカネをディスプレーの数字に置き換え、それを操作しているわけですよね。そういうことをつづけていると、ある種の感覚がズレてしまうような気がするのですが。

 そんなことを考えるようになったのは、やはりカンボジアで生活したからでした。あらゆる公有地が私有地になっていくという現象が、社会主義から資本主義に移行する際に多発しました。それを目の当たりにすると、「土地を持っている、ということは、歴史をさかのぼっていくと、なぜ持っているのかという根拠がないのかもしれない」などと妄想します。カンボジアには金融市場などありません。数少ない銀行は、外国人(それも私のようなちっぽけな日本人)にはカネなど貸してくれませんし、そもそも貸すカネもありません。だから、いつも現金勝負です。売上金を預けた銀行は、内戦が起これば早ばやと閉鎖してしまいます。
 日本にいると、大銀行や大手証券会社、信販会社を過剰に信用している人が多い(最近は、そうでもないのかな!?)ように見えるけど、そんなに信用しちゃっていいのかなあ、と思います。銀行に預けたカネも、ディスプレー上の数字としてのカネも、誰かが立て替えてくるカネも、天災や人災、事件、事故、紛争などでシステムが壊れてしまえば、いとも簡単に「無」となってしまうんですよね。最近、話題になっていますが、クレジットカードなど、つかっていなくても誰かに勝手に使われて、損をする場合もあります。
 「所詮、金融機関なんて、あまり信用できない」という前提で、リスクがあったらかぶる覚悟をしたうえで、貯金をしたり投資をしたりするのなら問題ありません。しかし私には、そういうリスクを極力見せずに、人びとが架空のカネをどんどん使うべく、マネーがらみの企業とマスコミが結託して、キャンペーンをやっているようにも見えます。

 海外で生活していて、クレジットカードを持っていないと、面倒なことがけっこうあります。ホテルにチェックインするとき、カードがあれば、それが保証になりますが、なければ現金でデポジット(前渡し)を払ったりします。手持ちがないときにたいせつな接待があった場合、カードを持っていれば、とりあえず支払が可能になります。使い方によっては、たいへん便利なものなのかもしれません。
 それでも私は、クレジットカードをつくるつもりはありません。持っているカネで、買えるだけのモノを買えればいいし、それで何にも困っていませんので。当然ながら、何を買っても困らないくらいカネを持っているのではなく、あまりカネはないけど、あまり欲しいモノもない、ということです。
 カードを持つのも株式投資をするのも自由です。しかしながら、それを利用する人たちに、脆弱な信頼関係のもと、何かあったらふっとんでしまうような架空のカネをイジっているという意識が、あるのかどうかが気になります。とりあえず、『SPA!』で毎回とりあげられているようなマネーゲームを、どれだけの人がほんとうにやっているのかも気になります。さらに『SPA!』を読んで、マネーゲームをやって、ほんとうに儲かっている人がいるのかどうかも気になります。

 今回は「中学生の素朴な疑問コーナー」のようになってしまいました。