テレビの「やらせ」と「演出」

 ワイドショーのネタチェックで毎日お世話になっている「★てれびまにあ」(http://tvmania.livedoor.biz/)というブログがあります。テレビ好きの私には、たまらない情報が毎日、提供されています。おそらくテレビ局の内部事情に、かなりくわしい方が書いているのだと思われます。ときおり書かれる批評の内容は、テレビ業界をかじったことのある私には、思わず「ふむふむ」とうなずくものも多いんです。
 で、フジテレビ「めざましテレビ」の「めざまし調査隊」というコーナーにおける「やらせ問題」を、同ブログが9月8日に取りあげていました。以下、引用します。

★フジテレビ「めざましテレビ」やらせで処分、というニュース
めざましテレビ」内のコーナー「めざまし調査隊」で”やらせ”が発覚し、同コーナー打ち切り、担当の外部ディレクター契約解除、社員ら減俸減給処分、という内容。

”やらせ”だった内容を読むと、「調査隊」の本来の目的から逸脱しており、批判は免れないような気もするが、”プロ”のエキストラを使わず自分の知人を起用しているなど、よっぽどネタもカネもなくて苦労していたのだろうな、と同情する。

生放送の情報番組では、「調査隊」のようなタイムリーでない話題は、取り扱わなくてもいいのでは、と思う。企画物に頼らず、今起こっているニュースをより多く伝えるべきでは。
最近の「めざまし」は、「めざまし体操」など、どうでもいいようなコーナーが多いような気がする。


 一般の視聴者って、どれくらい「これはやらせか演出か?」などと考えながらテレビを観ているのでしょうか。また「やらせ」と「演出」の境目って、何なのでしょうか。
 私はカンボジアにいるとき、NHKから民放まで、多くのテレビクルーと仕事をしましたが、その境目は最後までわかりませんでした。あえていうなら、出演する人にいったん起きたことを「再現」してもらうのが「演出」、起きていないことをやってもらうのが「やらせ」とでもいいましょうか……。
 私自身はそういう線を引いて、クルーに対して「演出」までは認めましたが、「やらせ」は絶対に認めませんでした。この線引きが正しいのかどうかは、よくわかりませんが。「再現」するとしても、出演する人が「朝、起きたら歯を磨く」といったらそれをそのまま信用するのではなく、私自身がいったん目撃したことについては「再現」を認めることにしていました。

 テレビの海外取材は、よほど予算が潤沢でないかぎり、取材期間が短いものです。短い取材期間のうちに、私のような現地リサーチャーが提供する情報をもとに、ディレクターが日本で考えた構成にそって、取材をすすめます。すると、自然発生的に出演者の行為が起こるのを待つ時間などほとんどないことから、どうしても「いつもやっていることを再現してもらおう」ということになります。
 ここでディレクターに「魔が差す」タイミングがおとずれます。ディレクターが「ホントに起きてるかどうかわかんないけど、構成上、やってもらわなきゃネ」と思って、現地リサーチャーがそれに同意したら「やらせ」。そういうディレクターに「それはやらせだからマズいっすよ」とリサーチャーが忠告し、それがホントウに起きることなのかをディレクターかリサーチャーが確認したうえで、出演者に再現してもらえば「演出」。
 もしリサーチャーが、そんなことどうでもいいから、数をこなしてカネを儲けようなどと思っていたら、抑止効果を失ってしまうため、海外番組での「やらせ」はいとも簡単に頻発するようになります。で、そういうリサーチャーも実際にいます。

 日本のワイドショーの1コーナーだと、そもそもリサーチャー不在であることも多く、ディレクターの判断で取材をすると思われます。テレビ局は、内部の人(プロパー)には厚遇を与え、外部の雇い人を冷遇する(その報酬の格差は、ものすごいものがあり、難関試験を突破して厚遇を得られることを「就職」の目的とする学生を量産し、就職の目的が番組づくりでない人が局には多いから、面白い番組ができない、という悪循環をまねいている)ことから、いくら大きな番組の1コーナーであっても、下請けの制作会社(または個人)におりる予算がすくない場合が多い。予算がすくなければ、リサーチの時間が減り、取材時間も減り、出演者も低額で引き受けてくれる人に限られます。
 予算がすくないので、数をこなさなければ食っていけない。低予算で数をこなすためには、できるだけカネと時間をかけない方法で取材するしかない。カネと時間をかけないための近道は、出演者に知り合いを雇い、なかったことでもあったように演技をしてもらい、人件費と取材時間を最短にちぢめるのが得策なり……。
 テレビで放映されている多くの番組が、それぞれの局ではなく、外部に発注しているという実態を考えると、それだけディレクターに「魔が差す」可能性が増えていることが予想されます。そして、確実なことはいえませんが、おそらく「魔が差している」ケースは、たくさんあるのだと思います。でも、「魔が差した」番組に立ち会った下請けのクルーの誰かが、「あれはやらせだ」と暴露してしまったら、下請けで働く人びとの生活がたちいかなくなります。だから、やらせだと知っていても、それはめったに告発されません。

 上記ブログで「★てれびまにあ」さんが「同情する」と書かれていますが、以上のような事情を知っている私もやはり、やらせディレクターに「同情」はします(もちろん「やらせ」で番組をつくったこと自体は、マズいという前提で)。だって、このやらせ問題の本質は、以上で書いたようなテレビ局の番組制作の構造にあるのであるのですから。ディレクター個人に責任を押しつけて、「スケープゴートを祭り上げたから、これでいいでしょ」で終わらせたら、何の解決にもなりません。
 かりにいま、理由は何であれ、「やらせ」なしには番組制作が成り立たなくなってきているのであれば、テレビ局はそのことを視聴者にぶっちゃけてしまったほうがいいような気がします。「この番組には、やらせも含まれています」というように。そういう意味では、「さんまのスーパーからくりTV」などは、タイトルに「からくり」という言葉を使うことにより、「やらせ」をほのめかしている点で、いさぎよいような気もします。
 いずれにしても、視聴者は「やらせか演出か?」などと気を配ってテレビを観ているわけではないでしょう。おそらく、リアルっぽければホントウの話、リアルっぽくなければ作り話。この程度の色分けなのでは。そうなると、リアルっぽい番組にやらせがあるかないかが問題になりますが、やらせがあるかないかを確実に知っているのは、局の下請けスタッフと取材に立ち会った(または居合わせた)人のみ。彼らがいわなければ、やらせの有無は迷宮入りとなります。
 ようするに、毎日観ているテレビには、やらせでつくられたものがたくさん混じっている可能性があるわけです。よって、私たち視聴者は、テレビに映ったことを安直に信じず、「テレビなんて、しょせん、やらせアリなんだ」という感覚をもちながら観たほうが、テレビの情報をベタに信じるという愚をおかさない近道であるように思います。

 「★てれびまにあ」様、今後ともよろしくお願いいたします。