姉歯問題

kanryoさんのブログを要チェックです!
http://d.hatena.ne.jp/kanryo/20051127

しかし、みなさん、そんなに持ち家が欲しいものなのでしょうか?
私自身は、持ち家など特に必要ないと思っています。その理由の第1は、共働きとはいえ、稼ぎがすくないので、買おうと思っても買えないこと。というか、買う気がまったくない。
第2は、財産価値があるといって家を買っても、死ぬときには子どもや他人の手に渡ってしまい、もったいないと思うこと。笑
まあ、死ぬ前に家を売って、酒池肉林の世界にどっぷりつかってパーっとやる、ということも考えられます。とはいえ、それをやるなら年をとる前にやりたい。だから、ローンとか支払うのなら、「家賃」と「家を買った場合のローン」の差額を、元気なうちに有効に使いたい。さらに、子どもに財産など、残すつもりはまったくありません。成人になるまで面倒を見るので、あとは自分で稼いで、好きなように暮らしてください。
第3は、持ち家というか、土地の問題です。土地なんて、いりません。ひじょうにくだらない理由ですが、カンボジアで土地制度の原始的ものから現代的なものまで、その変遷を短期間で見てしまったことが大きいです。国有とか共有だった土地が、ある日、突然、誰かの私有地になる。そして、1㎡=0ドルだった土地が、あっという間に同100ドルになったりする。月2500ドルの借家が、3年後に同500ドルになる。漠然と「土地って、水ものだなあ」と思ってしまいました。
まあ、カンボジアでの見聞を日本に持ち込むな、と思われるかもしれません。その通りだと思います。でも、カンボジアでの見聞のインパクトが強すぎて、土地の売買なんて、アホらしいなあと思うようになりました。なんだか、小中学生が何かを嫌がる理由みたいですね。

で、姉歯問題なのですが、kanryoさんがブログで指摘しているように、規制緩和がキーワードになると思いました。そして、日々のニュースを見聞きしていると、どうしても「ほかの建築士も偽装してるんじゃないか」とか、「全国各地に、ヤバイ物件があるのではないか」などとも思ってしまいます。さらに、これは建築業界だけの問題なのか、などと考えたりもします。もし、姉歯さんがやったような偽装の元凶(または根本原因)が規制緩和なのであれば、行政が担当していたチェックを規制緩和で民間に委託するようになった業種については、似たようなことが起きているのかもしれない、と思ったりもします。
行政によって強制退去を勧告された、問題物件の住人は、たいへんな思いをしていることでしょう。持ち家主義ではない私は、あくまでも他人事としてしかコメントできませんが、理不尽な理由でいきなり行政に「ここから出ていけ」といわれたら、誰であっても困ると思います。行政も不正を起こした業者も、住人が納得のいく対処をすべきだとも思います。

だかしかし……。事件や事故、犯罪などに巻き込まれて損をしても、できるだけ財産がプラスマイナスゼロに近くなるような工夫は、誰にでもできるような気もします。家の話でいえば、夫婦でこの先、何十年も払い続けなければならないようなローンは、極力組まないようにする、とか。あまりリスクを背負わないですむような程度まで、お金を貯めてから家を買うとか……。現状の収入に見合った場所で暮らせれば、それでいいような気がします。「ローンを払い続けなければならない」という拘束や「世の中、この先、どうなるのかわからない」という不安を引き受けているという意味で、家を買う方がたはすごいなあと思います。すごい覚悟だなあと……。
もちろん、以上は私個人の価値観です。投機目的で家を買うかどうか。さまざまなリスクを覚悟して、家を買うかどうか。それこそ、自己決定の問題といえそうですね。

勘違いされると困るので、付言しておきます。「自己決定で家を買ったんだから、問題物件の住人『にも』、ある程度の自己責任がある」ということは、いくら想定外のリスクを背負わされることになったとはいえ、受け入れざるをえないことだと思います。
とはいえ、だから行政や業者が免責されるわけではなく、その想定外リスクの発生源である可能性が高い行政や業者には、重大な責任があり、住人への保証は最大限にすべきだと思っています。
ただし、テレビで見たように、行政が退避勧告の対象となる住人のための代替住宅の家賃を徴収するといったことに対して、ある住人が「私たちを殺すつもりなんですか」と詰め寄る姿には、すこし違和感を感じました。そう言いたくなるような切羽詰まった状況なのでしょうし、そう言いたくなる気持ちは理解できるのですが、さすがにテレビ画面で映し出されると、抵抗を感じました。
この点は、何かとセンセーショナルに報道したがるテレビ・メディアの昨今の風潮にも、問題があろうかと思います。たとえば、栃木の小1女児殺害事件を報道する際に、その女児の生前の姿を「ニュース」で流す必要が、なぜあるのでしょうか。誰が映像を提供しているのか。もし親族以外から入手しているのなら、それを勝手に「ニュース」で流していいのか。親族は、あの映像を観て、どう思っているのか。視聴者があの映像を観て、どう思っているのか。そういう根本的な配慮がなされないまま、できるだけセンセーショナルな映像を流すことが重要であるがごとき風潮に、テレビ報道がなってきているような気がします。