敵の敵は味方

よく戦争の論理として語られることに、「敵の敵は味方」という言葉があります。ごく簡単に例を示せば、アメリカの敵が日本だとします。さらに、中国の敵が日本だとします。もともとアメリカと中国は、とくに親密な関係にも敵対関係にもありません。ところが、「日本が敵」という利害で一致したときに、日本の敵である中国が、アメリカにとっての味方だと見なされる場合があります。そして、普段は何の関係もないアメリカと中国が、「日本が敵だ」という部分のみに関しては、イデオロギーやら何やらを無視して協力しあったりします。

はてなブックマーク」に、以下のような書き込みがありました。まずは読んでみてください。

A.『id:leleleは異質な存在である50歳女性を排除している。何が「反論しても仕方がない」だ。本人に聞こえない場所で陰口叩いてんじゃねーよ。 』

B.『異質を許容できず、賛同者を集って異質を否定しようという態度はPTAとまったく同じでは・・・?』

基本的に、自分が書いたブログがどのように読まれるのかということは、掲載した瞬間から私の手を離れてしまい、独り歩きしてしまうという前提があります。だから、いろんな読まれ方をすることに対しては、何の抵抗も感じません。
以下のエントリーを読んで、私が「50歳女性」を排除している、とAの人が読まれてしまったのならば、書き方が悪かったとしかいいようがありません。排除しようとなど思っていませんし、ただ反論を述べているにすぎません。
また、「みなさん、HGはゴールデンタイムに出演してはいけないのでしょうか?」という一文は、賛同者を募っているのではなく、このブログの読者がこうした状況を、どう考えているのかが知りたくて書いたまでのことです、Bさん。

不思議ですね。ちょっとしたことに目くじらをたてて、文句をつけている人に対して、「いろいろあってもいいじゃん」ということが、なんで「異質の排除」になるのかがよくわかりません。そんなことをいいだしたら、AさんやBさんは、「異質の排除」をしている異質の私を排除している、ということになり、自分のいっていることが自分に跳ね返ってくることになるでしょう。
そうなると、「異質の排除」を否定しているAさんやBさん自身が、「異質の排除」をしていることになるわけで、そんなことをいいだしたらキリがない。まさに「50歳女性」の敵が私で、AさんBさんの敵は私で、共通の敵である私に対して、何の関係もない「50歳女性」とAさんBさんが共闘関係を結んでいます。

興味深いのは、それこそAさんやBさんのようなコメントを、平気でネットにアップしてしまえる振る舞いです。言葉遣いにしても、Aさんについては、他人に読んでもらうというよりも、ただただ自分の言いたいことや思いついたことをそのまま書いているだけのように読めます。「陰口」というのなら、上記のコメントをこのブログに書き込んでこそ言行一致なわけで、なかなかたどりつかないようなページでこそこそ書いていることは「陰口」にならないのでしょうか。

こんなことを気にせずにブログを運営していくためには、結局、コメント欄を閉鎖したり、罵詈雑言を無視していくしかないんですかねえ……。
今回は、気になるコメントを不思議な振る舞いの事例として取りあげましたが、以降はしばらく「気にしない」方針でいくことにしましょう。