仲正昌樹さんと北田暁大さんのトークセッション――双風舎からのお知らせ――


【はじめに】
『諸君!』2月号に仲正昌樹さんによる「『諸君!』に出て何が悪い――北田暁大に告ぐ」(以下、諸君論文という)という論文が掲載されました。
11月に実施した仲正さんと北田暁大さんによるトークのあとで、拙ブログや読者のブログ、webページなどで展開された議論、そして上記の仲正論文を読んでみた結果、これを機にして、以降のトークが中止になった経緯を、仲正さんと北田さん、そして次回のトークに参加を予定していたみなさんに、しっかりと説明しておくのがよいと思いました。
また、そうした経緯を振り返ったうえで、問題点については仲正さんと北田さん、そして参加を予定していたみなさんに、お詫びさせていただこうと思います。
最後に、北田さんの本意を、あくまでも私なりに解釈するという前提で、記してみようと思います。

トーク中止の経緯】
(1) トークの前日に北田さんから連絡がありました。そこで北田さんは、嘆息まじりに「明日この話をしないわけにはいかない」と私に伝えました。この話とは、『諸君!』12月号の仲正さんと小谷野敦さん、そして八木秀次さん鼎談(以下、諸君鼎談という)のことです。さらに、トークのテーマを仲正さんの新刊『デリダの遺言』に関する北田さんの質問と仲正さんの回答を主題にして、副題的に諸君鼎談について触れようということになりました。その際、北田さんは、「明日行かない」とはいっておりません。諸君論文に「北田暁大から興奮した電話が……」とありますが、興奮していたのは私のほうであり、北田さんではありません。

(2) この時点で私は仲正さんに、トークの主題を「わかりやすいことは、いいことなのか」から「『デリダの遺言』に関する議論」に変更させていただきたいと伝え、了承してもらいました。くわえて、北田さんが諸君鼎談についてもトークで触れることを希望しており、『諸君!』に執筆したことではなく、「鼎談の内容の一部」に懸念を表明していることを、仲正さんに伝えました。

(3) おふたりとのメールと電話のやりとりから、トーク当日の時点で、私は「仲正×北田企画」の継続が困難であると、心の中で考えておりました。これ以上、おふたりの関係に溝をつくりたくないと(勝手に)考えた私は、仲正さんには早めに会場入りしていただき、今後の企画の話をすることにしました。そして、北田さんには開演時間ぎりぎりに来ていただくようにお願いしました。この時点で、書籍企画の継続は困難かもしれないが、あと一回やる予定のトークを実施するかどうかは、今回のトークの様子を見つつ、おふたりと相談しながら判断することにしておりました。

(4) トーク当日の状況から判断して、以降の継続はむずかしいと考えた私は、以降のトークは実施しない方針であることをおふたりに伝えました。北田さんには了承していただきましたが、仲正さんからは、次回のトークを予定していた12月11日に、たとえひとりであってもイベントを実現したいとの意向を聞きました。私も、中途半端なかたちでトークを終えると、聴衆に対するおふたりの印象も中途半端になってしまうことを懸念していました。そこで、当初は仲正×北田トークの予定であったが、仲正さんの単独トークになってもよいか、三省堂書店に問い合わせました。三省堂書店からは、トークイベントは基本的にふたりでおこなう方針なので、申し訳ないが12月分は中止にしてほしいとの回答がありました。

(5) 以上のようなやりとりをおふたりとしているあいだに、トークの内容に関連した不当な発言や憶測のみで書かれたような内容の文章が、ブログやwebページに掲載されるようになりました。とりわけ、仲正さんに対する直接的な中傷というよりも、林道義さんや八木さん、統一協会などを悪の絶対基準にしたうえで、そこからの距離で人の思想をはかろうとする態度については言語道断であると、私も強い憤りを感じていました。こうした状況を見かねた仲正さんは、ご自身の見解を拙ブログのコメント欄に書き込みました。

【反省点】
 まず、(1)の時点で、私が仲正さんに「北田さんが興奮した電話を私にかけてきた」というニュアンスで、話を伝えてしまったかもしれません。そのニュアンスは上記のとおり、事実とは異なります。よって、もし仲正さんに「北田さんが興奮していた」と私の話が伝わってしまった(もしくは、私がそう思わせるように話した)のであれば、北田さんの言葉を仲正さんにきちんと伝達できなかった私の責任は大きいといわざるを得ません。
 また、(2)の時点で、北田さんから企画継続を懸念する声を聞いた私は、そのショックの大きさゆえに、北田さんの言葉をすこし誇張したうえで、仲正さんに伝えてしまった可能性があります。さらに、(3)の時点でも、先に会場入りした仲正さんに対して、北田さんが「来るかどうか分かりませんよ」というようなことを、冗談めいた口調でいってしまったかもしれません。これも私の伝達ミスだと考えられます。
 くわえて、(4)の時点では、本の企画は降りるが、あと一回のトークはやろう、と北田さんはいっていました。たとえ本の企画が流れても、トークをやろうという意思を、仲正さんも持っていました。にもかかわらず、このまま継続してもプロ野球の消化試合のようなトークしかできないのではないかと判断した私は、トークを継続しない方向で調整をはじめてしまいました。
いま振り返ってみると、これがもっとも大きな判断ミスだと思います。北田さんは、トークを継続しようといっていたのですし、11月のトークが元となって、仲正さんが不当かつ見当違いな誤解をされてしまう状況をつくってしまったのですから、12月のトークを実施して、仲正さんが誤解をとき、不当な見解に反論できるような場を設定すべきでした。

【仲正さんと北田さんへのお詫び】
 トーク中止の経緯と、中止の手続きにおける反省点は、以上のとおりです。こうした流れのなかで、仲正さんの諸君論文が発表されました。反省点で示したとおり、こうした事態になったことの原因には、私の実務的なミスが大きなウエイトを占めていると思っております。
仲正さんと北田さんそれぞれの意向を、あいだに入った私がおふたりへ正確に伝達し、おふたりの考えを尊重して何ごとも調整していれば、仲正さんが諸君論文を書くような事態にはならず、それを読んだ北田さんが不快になる(のではないか、と私が思っている)ようなこともなかったのではないか、と強く反省しております。
以上のような経緯で、こうした混乱をまねいたことの責任を深く認識しつつ、今回の経緯を教訓にして、同じことを繰り返さぬように努めていこうと考えています。仲正さん、北田さん、私の実務的なミスが原因でご迷惑をかけてしまい、たいへん申し訳ありませんでした。
ちなみに、上記の経緯をお読みいただければわかると思いますが、トーク開始以前からトーク中止にいたる過程で、北田さんと私とが事前かつ独自に打ち合わせたという事実はありません。繰り返しますが、私の中途半端な判断が原因で、トークが中止となってしまったのです。

【聴衆のみなさんへのお詫び】
 以上のような経緯でトークが中止になったことは、次回の開催を期待されていた聴衆のみなさんに対して、たいへん失礼なことだと思っています。聴衆のみなさんには、貴重な時間を割いて、一定の料金を払ったり書籍を購入していただいたうえで、トークに参加していただいています。そして、聴衆のみなさんに来ていただけるからこそ、会場費や講師の車代などを支払うことができて、トークイベントとして成立させることができています。
にもかかわらず、上記のような実務的なミスが発端となり、予告していたトークの実現が不可能になってしまったことは、聴衆のみなさんに対する企画者側の裏切りといっても、いいすぎではありません。12月の仲正×北田トークを期待していた聴衆のみなさん、私の力不足で実現できず、ほんとうに申し訳ありませんでした。

【おわりに】
以上のような流れのなかで、仲正さんの諸君論文を読みました。仲正さんの見解については、そこに記されていますので、同誌でご確認いただければと思います。ここでは、おふたりのあいだに入ってトークの構成を考え、司会をつとめた者として、また北田さんの立場をそれなりに理解している者として、同論文を読んだうえで抱いた所感などを述べておこうと思います。

第一に、トークの最中もその前後も、北田さんは、仲正さんが『諸君!』に執筆したことそのものを批判していたのではない、というように私は感じていました。八木さんや小谷野さんと対談したこと自体にも、批判していませんでした。
トークの録音を聞き直してみましたが、北田さんが問題にしていたのは、なぜ仲正さんが八木さんの上野千鶴子さん「理解」をスルーするのか、また本当にその上野批判は正しいのか、ということでした。
つまり、仲正さんが「『諸君!』に出た」ことそのものを、北田さんが批判していたようには、私には感じられませんでした。これは私なりの理解ですが、「反フェミ陣営が勢いづいている現在、フェミニズムに造詣の深い仲正さんだからこそ、いうべきことはいってほしかった」というのが、北田さんの真意だと思われます。

第二に、これはトークとは関係のない楽屋情報ですが、北田さんは『諸君!』に掲載された一部の論文を、皮肉なく褒めていたこともあります。むしろ、私と話すときの北田さんは、『世界』などに掲載される論文のほうを、批判することが多かったように思えます。つまり、どの雑誌に掲載されたのかが問題なのではなく、個々の論文ごとに是々非々で評価し、批判しているというのが、北田さんの立場なのだと私は考えます。
たしかに、総体的には「右より」の雑誌のほうが元気がよく、また読者を魅了している事態への危機意識を、北田さんがもっているのは事実です。しかし、北田さんは、現在文春系の『文学界』での連載や文春新書の執筆を用意されていると聞いています。文藝春秋の『日本の論点』にも二年つづけて執筆されています。
以上のような実情からも、またご本人との対話からも、私には北田さんが、「右より」の雑誌に書いた人が「右」の人、すなわち「文春系に書いた=から=右翼」という単純な図式で考えるような方ではないと確信を持っております。

第三に、以上の二点から考えると、『諸君!』2月号に掲載された仲正さんの論文のタイトルは、いささか不当であるように思います。トークの最中もその前後も、仲正さんが『諸君!』に執筆したことを、北田さんは批判しておりません。繰り返しになりますが、八木さんの議論に仲正さんが話を合わせていたように読めた部分を、北田さんは批判していたのだと思います。
ようするに、北田さんは仲正さんに、『諸君!』に出たから悪いとはいっていないのに、「『諸君!』に出て何が悪い」というタイトルをつけるのは、ちょっとマズいのではないか、と私は思いました。仲正さんがこのタイトルを考案し、編集部がそのまま採用したのかもしれません。また、編集部が勝手につけたタイトルなのかもしれません。いずれにしても、これでは事実や論点と異なることをタイトルにつけられたうえで、名指しをされてしまった北田さんの立場がなくなってしまいます。
仲正さんが、トークの最中に「『諸君!』に出たことが悪い」という印象を持たれたのは、北田さんの発言ではなく、会場でのウケを狙った私による冗談めいた発言によるものだと思います。この私の発言については、安直で軽い発言をしてしまったと、いまさらながら強く反省しております。
私の真意は、どの媒体に執筆したとしても、それはどうでもいいことであり、仲正さんとの信頼関係は変わらないものだと思っています。また、北田さんの思いを代弁するつもりで、あのようなことをいったわけでもありません。いずれにしても、私の軽率な発言が、このような帰結をもたらしてしまったことに、重大な責任を感じております。

最後に、こうした事態をまねいてしまったことについて、もう一度、仲正さんと北田さんには深くお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

【追記】
上記の弊社からのお知らせに対して、仲正さんよりコメントが寄せられました。以下、私の見解を含めたうえで記します。

第一は、北田さんがトークの際に、『諸君!』が「『論座』とか『世界』とくらべれば、はるかにに売れている雑誌なので」といったことや、八木さんが「来年、首相になっているかもしれない人のブレーン」といった発言をしている点です。あくまでも解釈の問題ですが、この発言により、仲正さんが、あたかも彼らと同じスタンスであるかのように勘違いされてしまう可能性は、あったかもしれません。以上の発言は、トークの録音を聞き直し、私が確認しました。

第二は、タイトルについては、『諸君!』編集部がつけたものであるとのことです。トークの際に、仲正さん個人が『諸君!』に出たことを、北田さんは問題にしているように思えたことから、あのようなタイトルにならざるをえなかった、と仲正さんはいっております。この点もトークの録音で確認しましたが、私自身は個々の発言を聞いた者がどう解釈するのか、という問題なのではないかと感じました。