ゲイ in Japan

これは、ニューズウィーク日本版1/25号の特集タイトルです。
記事では「ハードゲイを演じる芸人が人気になる一方で、カミングアウトする人が増加。推定500万人の『普通』の同性愛者たちの生活」といったことについて触れています。廃刊になった『薔薇族』の元編集長・伊藤文学さんへのインタビュー「田舎のゲイに心の支えを」や「ゲイの友だちがほしい彼女たちの理由」など、おもしろい記事がたくさんあります。

「週刊SPA!」の今週号では、連載対談「これでいいのだ!」で福田和也さんと坪内祐三さんがゲイの文化人について語り、昨日の思想塾新年会でも宮台さんとゲイについて語りました。今週に入ってから3日連続で、ゲイに関することを見聞きしたり議論するとは、思ってもいませんでした。

私自身はストレートですが、同性愛者の方がたの存在については、もっと広く深く開けっぴろげに語られるべきだと考えています。とはいえ、日本にはそうなりにくい土壌が、根深く残っているようにも思えます。

よく知らない相手は、神様にも見えるし化け物にも見えます。1970年代のカンボジアでは、得体の知れないポルポト派が人びとにとって、一時期は「解放」のための神様に見え、その後、平気で大量虐殺をおこなう化け物へと変わっていきました。きっと、化け物だと思っていたものが、神様になるケースもありましょう。キーワードは、相手のことが「よくわからない」「得体が知れない」です。

いずれのケースも、相手の詳細がわかれば、おそらく神様にも化け物にも見えなくなります。「なんだ、フツーじゃん」と。フツーの定義はいろいろあると思いますが、とりあえず神様でも化け物でもない存在、ということにしておきましょう。

調べたり見聞きするのがめんどくさくて、相手のことを知ろうとしない、ということもあるでしょう。思考停止となり、わかりやすさに走る状態ですね。そうなると、仲正さんが登場し、「生き生きとしたわかりやすい言説に惑わされるな!」と渇を入れられます。

いろいろ述べましたが、こういうことがいいたかったんですね。つまり、批判するにせよ、尊敬するにせよ、まずはその対象となる人のことをよく知ってから、また知ろうと努力してから、慎重に評価するのがいいんじゃないかなあ、と。

ところで、今週号のニューズウィークには、社会保障の本質を考えさせれる「スウェーデンは理想郷か」やルワンダ大虐殺を映画で表現した監督の記事「『ホテル・ルワンダ』を撮った理由」など、興味深い記事が盛りだくさんです。
ぜひご一読を!