子どもを殺した母親だけど……

ワイドショーやニュースで一方的な畠山被告バッシングがおこなわれるなか、作家の内藤みかさんが「母親だけが、悪いのか。」というエントリーで、以下のような発言をしています。

→ http://plaza.rakuten.co.jp/micanaitoh/diary/200607160001/

内藤さんは、ただ者ではないと思いました(前からそう思っていたけど、このたび再確認しました)。
畠山被告バッシングの嵐が吹き荒れるこの時期に、子どもを殺した母親をある側面で「かばう」ような発言をするのは、たいへん勇気のいることでしょう。かつ、その発言内容は、母親でない私でも十分共鳴できるものでした。

マスゴミ(とりわけテレビ)は、したり顔でテレビを見つめるハゲタカのような視聴者に対して、特定の個人のみを攻撃するような内容の特集を垂れ流しつづけるんじゃダメでしょう。それこそ、子どもを殺した母親(本人というよりも、似たような環境におかれた女性)にシンパシーをも感じているような、内藤さんのような方のコメントを放送することが重要なのでは。

そうしないと、内藤さんがいうように、畠山被告と同型(「シングルマザー」「生い立ち」などといった、かたちが同じということ)の母親に対する世間の風当たりが冷たくなる一方のような気がします。子どもを殺した母親個人の環境と平行して、その母親を取り巻く社会の環境も取材したり報道する必要があります。次のピック・ニュースが発生すれば、この事件の報道は母親攻撃でおわってしまう可能性があります。そんなことになったら、畠山被告と同型の母親たちはまったく救われないですよね。

もし畠山被告が罪を犯しているのであれば、その犯した罪の内容をあきらかにし、彼女が自分の犯した罪を何らかのかたちで償うのは、当然のことです。しかし、彼女を取り巻く社会の状況をしっかりと取材・報道・分析・研究しなければ、同じようなことが繰り返し起こるだけのように思えます。そのためには、内藤さんのような視点が不可欠になります。

ぜひぜひ、上記の内藤さんの発言を読んでみてください。異論反論のある方もいるとは思います。とはいえ、何度も書きますが、母親が子どもを殺す事件を考えるためには必要不可欠な視点を内藤さんは提供してくれているのです。しつこいようですが、内藤さんのような視点はたいせつなんです、ほんとうに!


追記……「激高老人」こと社会学者の作田啓一さんが、畠山容疑者の振る舞いについて、以下のように分析しています。畠山容疑者の「頭の弱さ」うんぬんという部分以外は、たいへん興味深く読めました。

→ 畠山静香容疑者の自己破壊 http://gekko.air-nifty.com/bc/