著作権の非親告罪化について


竹熊さんがブログで、著作権非親告罪化の反対意見を書いたのをきっかけにして、大騒ぎになっているようですね。


http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_b72f.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_81b3.html


著作権については、書きたいことがたくさんあります。でも、いまは残念ながら時間がありません。そのうちゆっくり書きます。


著作権非親告罪化することについては、反対です。竹熊さんがいうように、法案化を目指す動きがあるのなら、未然に食い止めるようなアクションは必要だと思います。


そう考える根拠は、竹熊さんがクリアーに指摘しているとおり、「あらゆる創作は模倣の土台のうえに成立しているというのが、昔も今も変わらない俺の持論であります。それゆえ、著作権は守られるべきであると同時に制限もされるべき」だからです。


音楽、文章、絵、画像……。それらの表現の基本や基礎、そして基盤となるようなものは、すでに出尽くしてしまっていることを認め、そのうえで読者や視聴者などがその作品に「独創性」の有無や度合いを感じたところに、著作権というものがあるのでは。


さらに、著作権著作権者の個人(もしくは法人)が持つものなのですから、その侵害について第三者が「違法だ、脱法だ」と指摘したり、ましてや告発したりするのは筋違いであることは明白でしょう。よって、著作権に関する議論は、ケースバイケース、かつ是々非々で考えていくのが妥当だと思っています。


私が、この著作権非親告罪化で引っかかるのは、非親告罪化することによって、前述のようにきわめて個人的な権利である著作権について、行政などの第三者が介入したり口出しすることが可能になる、という点です。


ネットを巡回してみると、この著作権に関する問題は、ウヨクとかサヨクとかぜんぜん関係ない議論なのに、反対しているとサヨクだと決めつけられていたり。「行政府が発表した文書を書かれてある通りに信じる人が多いことに驚いてます」と竹熊さんが書いたように、行政の文書を錦の御旗のごとく考えている人がいたり。


たけくまメモ周辺を見ていたら、ネットという空間は「出る杭は打たれる」的な排除が、瞬時に起こる場所なんだなあと、いまさらながらつくづく感じました。ネット上の発言の自由度は保障されてしかるべきですが、出た杭を打つのに、論理やマナーが必要ないと思っている人がいかに多いことか。


そういう意味で、著作権非親告罪化に関する一連のエントリーやコメントを読んでいて、とても疲れました。でも、こういうことを書くと「疲れるんなら読まなきゃいいじゃん。終了〜」ということをいわれたりすることもあり、さらに疲れたりします(笑)。


竹熊さん、ほんとにお疲れさまです。