今日の例文


6月8日のエントリーに、以下のようなコメントがつきました。

RORORO 『人の会社どうこう言う前に己の襟を正したらいかがかな。人の顔色窺って持論を曲げてばかりでは、あなたの目指す文筆家には遠いですぞ。』

まず、拙ブログでは何度も書いていますが、このブログでは、私やコメントを書いた人に文句をいったり誹謗中傷するときには、どこの誰だかわかるようにしてくださいってお願いしていますよね。それを無視している点で失礼なコメントだといえます。


名無しのおばけに「失礼だ」といっても意味がありませんし、本来、このようなコメントは即座に削除すべきでしょう。しかし、私にはこのようなことをネチネチと書く人の心性が興味深いので、そのまま放置しておくことにします。


で、何が興味深いのかというと、このようなコメントを書いて、何らかの意味があるのかどうか、という点です。先日も似たようなコメントがありましたね。同じ人が書いているんじゃないのかな。ポイントはみっつあります。


ひとつめ。コムスンの「不正」について私が書いたを読んで、「襟を正せ」と忠告しているということは、私が何らかの「不正」をしていて、その「不正」をどうにかしてからコムスンのことを書け、ということですよね。私は「不正」をした覚えはないので、これは濡れ衣ですな(笑)。


ふたつめ。「人の顔色窺って持論を曲げてばかり」と書きますが、私は人の顔色をうかがうのがいやだから、自営で出版社をやっているんですね。これも間違い。とくに曲げるような持論も持っていないので、「持論を曲げてばかり」というのも間違いです。


みっつめ。「あなたの目指す文筆家」とありますが、私は編集屋であり、趣味でカンボジアの研究をしている程度の日曜研究者なので、文筆家など目指していません。これまた間違い。


コメントに書いたことのうち、ひとつくらい「そうだよね」と思う正しいものがあれば、それがたとえ腹立たしい内容であっても、まだマシです。削除したり、このように「例文」にしたり、しなかったでしょう。しかし、コメントで指摘されていることのすべてが間違いなのですから、開いた口がふさがりません。


ですから、コメントを読んでも「(笑)」としか思わないわけですね。とにかく不思議なのは、わざと人を怒らせるようなコメントを書くモチベーションです。ある程度の時間を割いて、わざわざコメントを書いて、それを送信して……。その結果は、上述のとおり、まったく意味がないわけですよ。


いや、ふたつだけ意味があるかな。ひとつめは、書き手の自己満足。ふたつめは、私と拙ブログの読者を、一瞬、不愉快な気分にさせるということ。そんなことに意味を見いだして、あのようなコメントを書いているのなら、ちょっと悲しすぎるし、イタすぎます……。


他人を不愉快にさせて、自己満足したいのはなぜなのだろう?
社会への恨みを転化してるのかな。
仕事がうまくいっていないウサを晴らしているのかな。
自分が優秀(または、優秀だと思い込んでるだけ)なのに、世間が評価しないからイラだっているのかな。
家庭の不満をぶつけているのかな。
恋人とケンカでもしたのかなあ。


いずれの理由であっても、私はコメント筆者のお母さんや恋人じゃないし、サンドバッグでもないので、うけとめることはできないんですよね。何かにいらだったからといって、他人のブログに嫌味なコメントを書き込もうなんて、すくなくとも私は思いません。よって、どういう感覚や気分で嫌味コメントを書いているんだろうということに、興味がありますね。


おそらく、あのコメントを書いた人はこのエントリーも読むでしょうから、ひとことだけいっておきます。くだらんコメントを書く時間があるのなら、本を読むとか趣味に打ち込むとか、別のことに時間を使ったほうがいいっすよ。私のような小物だと自己満足度が低いので、誹謗中傷するのなら、もっと高名な編集者やジャーナリスト、学者のブログか、小学館文藝春秋などの大手出版社のほうがいいっすよ。タイムリーな「敵」としては、厚生労働省とかもいいかもしれません。


こういうのを一般的には、「ネタにマジレス」っていうんですかね。
まあ、書くのに使った時間は10分くらいなので、たまにはいいか(笑)。