自費出版と自己責任


弊社と一字違いの社名の出版社(笑)である「新風舎」が、著者に訴えられたようですね。
昨日のニュースでやっていました。
詳細は、以下の記事でどうぞ。


元教授ら自費出版「新風舎」提訴、一部書店しか本出回らず


まず、記事中の「大手自費出版社」という言葉がおもしろかったです。「そんな出版社、あるのかよって。そんなこといったら、出版社はみんな、自費出版社じゃん」と思ったり。なぜかというと、「自費出版社」って書くと、自分で金を出して出版社をやっているという、ごく当たり前の出版社のようにも思えますからね。

さて、著者の方がたの訴えのポイントは、「新風舎」が全国の書店にあなたの本が並ぶと言い、それを信用して大金を払って本をつくったのに、しっかり営業をやらなかったではないか、ということのようです。「自費出版社」の問題はいろいろありますが、ここでは書店営業にしぼって考えてみましょう。一応、同業の問題ですし。

先に押さえておきたいのは、上記の事例は「自費出版」ではなく、「共同出版」だということです。前者は、自分でお金を出して、出版社に本をつくってもらうこと。後者は、自費出版でつくった本を、出版社が流通にのせて、その本が書店に並ぶという前提で、著者と出版社が契約する形態です。


自費出版本は、読者ではなく出版社が買う

この裁判自体は「共同出版」の問題で、「新風舎」が著者に対し、書店営業に関する大言壮語を述べた(書いた、契約した)という決定的な証拠が原告側にあれば、すんなりと決着がつくと思います。もし「新風舎」が、決定的な証拠を残さないような売り込み方を、著者に対して巧妙にしていたのなら、長引いてしまうかもしれませんね。

とりあえず、「新風舎がこういった、ああいった」という話は置いといて、自費出版社が実際におこなっている「営業」について、検証してみましょう。

自費出版社で本を出す著者の多くは、ただただ本を出すだけでなく、その本がちまたの書店に並べられるということを望んでいます。著者が抱く「自分が書いた本が書店に並ぶ」という期待感は、底知れないものがあるようです。たしかに、普段は自分が読んでいる作家らと、形式的には同列の商品となって、同一の場所で販売されるのですから、そのウキウキ感は半端なものではないのかもしれません。

だがしかし、プロの書き手が文字を紡いでつくった本と、素人(セミプロも含む)の書いた本とは、何らかの調整をすれば同一の場所で売ることは可能ですが、書店にとっても読者にとっても、それらが同列の扱いになるなんてことは、ぜったいにありません。書店に並ぶのですから、プロの本も素人の本も商品です。しかし、そのふたつの商品は、買い手がまったく異なるのです。

ぶっちゃけていえば、プロの本は読者が買う。そして、素人の自費出版本は、その本を出した出版社が買う。売上の動向は異なるでしょうが、いずれも買い手のいる商品ですから、書店は形式的には、それらを商品として扱います。プロの本は読者が買い、売れ残りは出版社に返品する。素人の自費出版本は、ほとんど売れないものの、その本を出した出版社が売れ残りをすべて買い取ってくれる。

こう考えてみると、上記で「何らかの調整をすれば」と書いたことは、本を一定期間「展示」して、売れ残りをすべて「買い取る」という契約を、自費出版社が書店としているかどうか、ということになります。そして、売場面積が限られた書店では、以下のような選択をするわけです。すなわち、売場の一定の場所を割いたうえで、「読者」に対して販売すべき本を展示するか、「読者」はまったく買わないけれど、発行元の出版社が買い取ってくれるので展示するか。

プロの本を販売しても、どれだけ売れるかどうかは、実際に売れてみないとわかりません。売れっ子作家が書いた本であっても、コケるときはあるし、無名の作家のデビュー作がベストセラーになったりもする。一方、書店が「読者」に対して本を提供するものだという考えを捨てれば、自費出版本という確実に売れる商品も、売上向上の一助として仕入れる。


●ウマい話には、ウラがある

さらに突っ込んでみましょう。以上のように考えてみると、第一に、「読者」に対して本を提供することに重きを置く書店では、自費出版本は仕入れてもらえません。第二に、売り場面積の小さな書店では、「数十冊を1カ月ほど展示すると、その数十冊はすべて買い取る」という条件の本よりも、確実に売れそうな「読者」向けの本を優先して仕入れるのは当然でしょう。

もっといろいろな理由があるかもしれませんが、以上の2点を見るだけでも、いかに自費出版本というものが書店に展示される可能性が、それほど高くないかがわかるかと思います。ようするに、自費出版で出した本を、「共同出版」契約に基づいて、著者がどれだけの期待をして書店に流通させようとしても、そんなに多くの書店には並ばないのです。

問題は、そういった書店営業に関する実態を、自費出版社が著者に対して、どれだけ正直に説明しているのかどうか、ということだと思います。出版社が著者に、実態を隠しつつ、期待を持たせるような説明のみをしているのであれば、それは悪質な行為であるといわざるをえません。しかし、ここでもうひとつ考える必要があるのは、著者のリテラシーです。

そもそも、「素人の書いた本が、なぜ書店に並ぶのか」ということを、お金を払う前によく考えることが重要です。夢と希望を想起させるようなウマい話には、ウラがあるということは、マスコミで報じられるマルチ商法やらキャッチセールスなどの事例から、多くの人がすでに知っていることでしょう。

社屋が大きいとか、大新聞に広告を出しているといった、金さえあれば取り繕えるような外見だけを見て信用し、「自分の夢と希望をかなえてくれる出版社かもしれない」などと安易に思ってはいけません。出版流通は、読者に向けて素人の本を書店で売るような仕組みには、基本的にはなっていません。創価学会系出版社の本も、一種の自費出版本であるような気もしますが、一般の自費出版本とは売上のレベルが違います。信者が大量に組織買いをしますから。

もう一度、書きます。「素人の書いた本が、なぜ書店に並ぶのか」。「共同出版」の契約に捺印する前に、そのことを考えてください。ネットで調べる。消費者センターに問い合わせる。知人にたずねる。そして、すこしでも疑問があるのなら、判子を押してはいけません。押してしまったら、トラブルの際に出版社側は、ひたすら「私たちは説明した」「著者の自己責任だ」と主張するに決まっています。


●自己責任といわれる前に

「本を執筆し、その本を書店に並べたい、というあなたの夢をかなえます」というところまでは、たしかに自費出版社には可能です。とはいえ、その本が「読者」に買ってもらえるというのは、ほとんどありえないことであり、また並べられる書店も限られます。こうしたことを、自費出版社はしっかりと著者に説明する責任があると思います。しかし、その説明がなされていないので、冒頭のような訴訟が起こるのでしょう。

他方、自費出版社の巧妙な話術や戦術に抗い、納得のいくかたちで素人が本を出し、書店に並べてもらうためには、一定水準のリテラシーが必要不可欠だと思います。その水準とは、しつこくて申し訳ありませんが、「素人の書いた本が、なぜ書店に並ぶのか」を徹底して考えてみるということに尽きます。

おそらく、わけもわからず契約書にサインしてしまう人がたくさんいるため、出版社側の言動に詐欺的な部分があったとしても、泣き寝入りしている著者が多数いるにもかかわらず、そういった人たちが表面化してこないのでしょう。契約させてしまえば、あとは著者の自己責任で、トラブルがあっても出版社側が免罪されるようなシステムを、自費出版社側も巧妙につくりあげているのでしょう。

そんなシステムを見抜くようなリテラシーを、自費出版を希望している著者の方々には持ってもらいたいですね。個人的には、そんなシステムで商売をしている自費出版社はマズいと思います。また、そういう出版社の本を並べている書店にも、自費出版者のそんなシステムづくりに加担している責任がないとはいえません。

でも、契約書に捺印してしまったら、そうしたおかしなシステムに巻き込まれてしまったとしても、著者の自己責任に還元されてしまう可能性が高いんです!