たいせつな学習の場

 昨日は、宮台思想塾であった。しばらくは、内田隆三さんの『国土論』を読み解くことになる。内田さんの著作は、『ミシェル・フーコーISBN:4061489895社会学のを学ぶ』ISBN:4480062270、入門書的な新書しか読んだことがない。いずれの本も、内容は面白いのだが、入門書にしては文章が難解(たいへん申し訳ないが、読みづらい……)と感じた。
 内田さんは「国体論」というタイトルにしたかった、という司会の堀内さんが紹介したエピソードが、たいへん興味深かった。たしかに内容からいえば、それが妥当だと思う。だかしかし、「国体」という言葉にへばりつく魑魅魍魎的かつ解釈自由な意味を考えると、出版社が「国体は勘弁してください」という気持ちもわかる。
 塾に二回ほど参加して感じるのは、学部生の方がたに、共通前提としての教養を身につけてほしいということだ。まあ、塾の目的が、ものごとを議論する際の共通前提を身につけることなのかもしれないが、その共通前提を身につけるためにも、ある程度の共通前提が必要なわけで……。このことは、神奈川大学で講義をやっていても、強く感じることである。
 おそらく宮台さんも、そう思っているに違いない。とはいえ、やさしい宮台さんはけっして「勉強して出直してこい」とはいわない。なぜかといえば、そういわれた学生が、勉強して出直すのが面倒になり、参加しなくなることを危惧しているからなのだと思う。よって、共通前提を理解するための前提を、時間をかけて説明してくれている。このような学習の場は、きっと他にはありませんよ!  

国土論

国土論