会社の話 7

 2002年の3月末に、カンボジアから日本に帰国した。そして帰国したその日に、以前勤めていた出版社のK社から連絡があった。連絡の内容を聞いて、驚いた。K社は、先代の社長が亡くなったのにともない、新しい経営者をさがしており、なんと私に経営を「やらないか」といってきたのである。
 創業から20年以上も経営を維持し、既刊本は400冊弱。出版傾向は先代社長の懐の深さを象徴しており、登校拒否問題をはじめとする教育問題や労働問題、女性問題、社会問題、思想、宗教、図書館など、多岐にわたる。社員は3人。すべての取次との帳合をもち、流通はなんら問題ない。ただし、おおきな問題がひとつあった。負債が2000万円以上あるのだ。
 ん〜、2000万円。売れる本を出せば、返せる額なのだろうか? わからない……。でも、これだけ環境が整っている出版社、それも私が尊敬していた方が経営していた出版社を引き継げる。どうしよう、どうしよう……。
 さんざん迷ったあげく、家族と相談したうえで、私はK社の経営を引き受けることにした。かなり無謀な賭けだということは承知していたが、思い切ってカンボジアにいってしまったときと同様に、「好機は逃すな」という気分で引き受けた。
 代表になったあと、出版人の先輩がたから、何度も何度も「無謀だ」といわれた。それを聞くたびに、そんなことは理解したうえでやっているんですよ、と思っていたが、結果を出すまでは黙ることにした。
 ここから先、翌年8月まで、馬車馬のように働くことになる。出版経営など、なにもわからないので、初歩から勉強しなければならない。また、引き継いだ時点では、出版企画がほとんど「ない」状態だったので、新規企画の開拓もしなければならないのだから……。
 で、一念発起して引き受けたK社の代表は、「翌年8月まで」しかつづけられなかった。私としては、もっとつづけたかったのだが、そうもいっていられない事情ができた。この事情については、次回の日記で簡単に記す。私が会社経営を継続するか、ひとりで出版社をやるか迷っていたときに、相談したのが宮台真司さんであった。