会社の話 8

 K社を辞めた経緯は、こうであった。
 私が経営を引き受けたのは、2000万円の負債を個人で引き受けるかわりに、私が株式の半数以上を取得して会社の代表になるという合意が、社内でできていると考えていたからだった。入社後、登記や取次に対する代表者変更手続きをひととおり終え、一応は名目上の代表になった。で、そのうち実質上の代表、すなわち株式の半数以上を私が取得できるような状態になるのだろう、と当初は考えていた。
 ところが、私が実質上の代表になる日は、けっきょくおとずれなかった。それは、株式を大量に保持する前社長のパートナー(兼社員)が、私に株式を譲ってくれなかったからだ。会社経営をすこしでも経験したことのある方ならば、おわかりだと思うが、社員数名の株式会社の株式は、金銭的な価値でいえば、ほとんど紙くず同様のものである。しかしながら、法律上、全株式の半数以上を所持していないと、経営に対する決定権が持てず、代表者なのに自由な采配がふるえない状況になる。
 つまり、「経営をやってくれ」と頼んだ方は、私に名目上の代表として2000万円の負債の責任を負わせておきながら、株式を譲らないことにより、私を実質上の代表にはさせなかったのである。私はさんざん、「この程度の規模の会社なのだから、株式の半数以上を所持して、すっきりと名目上も実質上もオーナーになりたい」とその方にいった。だが、それは拒否されつづけた。拒否の理由は、前社長が大切に育てた会社なのだから、私に勝手な経営をさせたくない、とのことであった。ん〜、それではルール違反でしょう。
 そんな考えを持っているのならば、はじめから私に「経営をやってくれ」などといわないでほしかった。だって、2000万円の負債を引き受けるということは、2000万円の借金をしてK社という出版社を「買った」ということと同義でしょう。私はてっきり、そういうつもりで経営を依頼していきたのだと思っていたし、代表になってからもそうなるのだと考えていた。
 いま思えば、会社を引き継ぐときに、株式の件をクリヤーにしておかなかった私が、甘かったのだといえる。「そのうち、譲ってくれるだろう」などと、のんきに人を信用しすぎた。ほんとうに甘いなあ……。
 最終的には、私が辞めるか、株式をたくさん持っている前社長のパートナーが辞めるか、という話になった。私が代表者なのに、「そんな話になること自体、おかしな話だなあ……」とあきれつつ、どう対処してよいものか悩み抜いた。
 自分の進退に悩んでいたころ、私は同時に、負債を返済するための売れ筋企画として、姜尚中さんと宮台真司さんの対談を仕込んでいた。会社を辞めようかどうか迷いながら、「このおふたりに協力していただき、売れる本を出して、すこしでも負債を返そう!」と動いていたのだから、まったく笑える話である。
 宮台真司さんとは、対談企画の打ち合わせで何度かお会いした程度の面識であった。にもかかわらず、私は宮台さんに会社の実情をすべて話し、どう対処したらよいのかを相談した。ほとんど面識のない私から、重い内容の相談を持ちかけられつつあった宮台さんは、私が「すぐにお会いしたいのですが……」と電話すると、詳細も聞かずに「急いでいるのですか?」とだけ私にたずねた。私が「はい」というと、宮台さんはすぐに「では、できるだけ早く会いましょう」といってくれた。
 そして電話の翌日には、宮台さんと私は渋谷のタイ料理屋にいた。
 つづきは明日にでも……。