壊れる芸能人

 会計の方が今日の午前中にくるので、徹夜で伝票整理でした。といっても、5月分の領収書の明細や現金の出入りを現金出納帳に記入し、郵便振替の受払通知書を整理し、請求書をまとめれるだけの作業。それ以降の作業は、会計事務所にお願いしています。
 それくらい自分でやれよ、と思う人もいるでしょう。たしかに自分でもできる範囲の作業ではある。とはいえ、決算のことなどを考えれば、月極でお金を払ってでも、経理は会計事務所に依頼すべきでしょう。なにしろ、ひとり出版社なのですから、自分でできることの範囲を見極め、人に頼むべきものは頼まないと、企画を思案する時間もとれなくなりますから。

 さて、壊れる芸能人。
 何をもって「壊れる」と定義するのでしょう。人それぞれ定義はあるのでしょうが、「何かの拍子に、そんなことをする必要はないのに、これまで長年つづけていた路線以外のことをはじめた人」か、「借金まみれになって、なんでもかんでも仕事を引き受けないと、たちいかなくなった人」を指すことにしましょう。
 何でこんなことを書いているのかというと、最近のマツケンこと松平健とヒトシくんこと草野仁の壊れ方が、尋常ではないような気がするからです。はっきりいって、どうでもいいことなのですが、書かずにはいられない何かが、このふたりにはあります。
 前者の壊れ方をしている芸能人は、民放の通販番組(とりわけテレビ東京)や通販専用チャンネルに出演する人のラインアップで、一目瞭然ですね。つけくわえれば、在籍していたプロダクションから、いきなりヤクザがらみのプロダクションに移籍した人なども、わかりやすい例となります。あるプロダクションなどは、「借金を肩代わりするから、ウチに来てください」というかたちで、大物芸能人をたくさんゲットしたりしています。
 マツケンとヒトシくんの壊れ方は、前者だといえましょう。

 まずマツケン。彼が昨年から、「マツケンサンバ Ⅱ」(以下、サンバ)で大ブレークしているのは、だれもがご存知でしょう。マツケンが舞台のフィナーレでサンバをやっていることは、テレビ朝日の夕方のニュースにより、かなり早い時期から知っていました。はじめて観たときには、腹を抱えて笑いました。そして「マツケン、何でもありなんだなあ」と面白がっていました。サンバのDVDは発売日に買い、すぐに子どもと一緒に踊ったりもしました。
 時代劇とサンバの融合は、おおいにけっこう。後楽園で「踊るコンサート」を開催するのは、かまいません。だがしかし……、『踊る! 親分探偵』は、ちょっとやりすぎなのではありませんか。6月10日にフジテレビで放映された同ドラマでマツケンは、橋健組の元組長で探偵という役割を演じています。元子分が殺人容疑で逮捕され、その子分の無実をはらすために探偵ごっこをして真相を究明する。
 ここまではいいですよ。問題は、事件解決のあとに、200人のエキストラと50人のダンサーとともに浅草公会堂の前でサンバを踊ってしまう、というエンディングです。ヤクザの親分が探偵になり、事件が解決したらサンバを踊る……。ストーリー的には破綻しているのに、視聴者はマツケンの踊りが観たいから、どうしても最後まで観てしまうではありませんか。ちなみに私は、途中から「タイガー&ドラゴン」を観たので、感動のファイナルは見られませんでした。
 ほとんどギャグといっていいドラマに、マツケンは出演してしまいました。いま再放送でやっている「暴れん坊将軍」や大河ドラマ義経」に主役級で出ている役者が、なぜギャグドラマに出てしまうのか。このマツケンの壊れっぷりに、私は気持ちよさと「せつなさ」を感じました。マツケンは、このまま壊れ路線を邁進していくのでしょうか。

 一方の草野仁といえば、元NHKのアナウンサー。いまは日本テレビのワイドショー「ザ・ワイド」で、硬派な司会ぶりを発揮している方です。TBSの「世界ふしぎ発見」では、ヒトシくんなどと呼ばれたりもしています。そのヒトシくんが、どう考えても「壊れたのかなあ?」と思わざるをえない番組に出演しています。
 それはテレビ朝日の「草野ランド」という番組です。この番組のコンセプトを簡単にいうと、浅草キッドがヒトシくんをイジる、というものです。そのイジりっぷりが、すさまじい。相撲をやったり、ゴルゴ13の物まねをしたり、小学生のコスプレをしたり、杉本彩とSM小説を読んだり……。浅草キッドのイジり方は半端ではなく、「新しい芸風にトライしている」という説明では、ちょっと納得がいきません。観ているぶんには、とても面白く、楽しめるのですが、一方で痛さを感じてしまいます。ヒトシくんの壊れ方が、痛いのです。たしか先週号の「週刊文春」のコラムでも、ヒトシくんの壊れっぷりが紹介されていました。

 ふたりとも、カネに困っているわけではないと思われます。いまさら新しい芸風にトライする必然性も、まったくありません。にもかかわらず、ふたりは、なぜ前述のような企画への出演を引き受けたのか。欲しいモノはすべて手に入れたが、無味乾燥な日常に飽きて、超越を求めはじめたのでしょうか。私には、超越というよりも、「どうにでもなれ」という投げやりな雰囲気が、ふたりに漂っているように感じます。
 投げやりだからこそ、意外で面白いものができあがるのだともいえますね。面白い番組を観られることは、テレビマニアとしては嬉しいかぎりです。とはいえ、私はふたたび問い質したい。
 なぜ、ふたりは、前述のような企画を引き受けたのだろうか……。

 以上、出版には何の関わりもない、どうでもいい話でした。

マツケンサンバII

マツケンサンバII