壊れる芸能人 2

 マツケン・ヒトシくん問題で、いくつかコメントをいただきました。応答は長くなりそうなので、日記で書くことにしました。

 彼らが出る番組をすべてチェックしているわけではないので、「いつからやっている」という点でご教示いただいたことには、感謝いたします。とはいえ、私はそのようなことを問題にはしておりません。「いつから」とか「どの番組」というのではなく、彼らがエンターテイナーとして、それぞれ本流(と思われる)の仕事(役割)以外の部分、それもギャグ的な部分に、なぜかかわるようになったのか、という点が気になるのです。
 以前に書きましたが、結局テレビなんて、観る側の欲求から逆算して番組をつくっているわけです。そして「製作側のネタ枯渇」が発生すれば、観る側にウケて、かつ変化のあるネタを提供せざるをえなくなります。それで、意外なことをやり、意外な人物を起用しよう、ということになるのでしょうね。そして、ヒトシくんに「草野ランドに出演していただけますか」というオファーがいきます。
 ここまでは「製作側のネタ枯渇」とクールに見ることができますが、ここから先の出演するかどうかという部分は、ネタ枯渇では説明できないような気がします。それは、昨日も書きましたが、マツケンやヒトシくんレベルの芸能人であれば、「ネタ切れだから、出てください」といわれても、嫌だと思えば断ることができると思われるからです。つまり、ふたりに関しては、製作側や観る側の論理とは関係なく、単純に「面白そうだから、出よう」と考えているように、私には見えたりします。さらに、「これまで築いたイメージはあるけど、そんなのもういいや」という姿勢も見受けられます。
 昨日は「壊れる」という言葉をつかいましたが、ようするに「そんなのもういいや」という人に、どうも私は惹かれてしまうのです。そういう人に、アイロニーを感じてしまう。テレビでは、ふたりはあえて壊れているのだが、観る側にはベタに壊れているように見える。その観る側のベタさを外側から眺めつつ、壊れた振る舞いをつづけていく。面白いじゃ、ありませんか。

 こうして私が惹かれるタイプの人物があきらかになってしまったわけですが、そのことは、双風舎の執筆陣を見ていただいても、すこしわかっていただけるような気がします(「俺は(私は)そうじゃねぇよ、バカヤロー」といわれてしまうかもしれませんが、あえていいましょう)。

 というわけで、マツケンとヒトシくんという愛すべき人たちをテーマに、日記を書いてみた次第です。他意はありませんので、あしからず。