カンボジアで監禁事件がありましたね

 昨日、カンボジアのシエムレアップ(アンコール・ワットのある町)で、監禁事件があったようですね。テレビで「カンボジア」のネタを見聞きするのは久々だったので、ちょっと驚きました。そして、ニュースを見ていて、日本人がからんでいるから、カンボジアのネタであっても報道していることがわかりました。
 前から不思議かつ違和感を感じていたのですが、海外で飛行機が落ちたり、大きな災害があったり、事故があったりすると、ニュースでかならず「日本人は含まれていませんでした」とか「日本人の何人が亡くなりました」とか伝えますよね。それって、どういう意味があるのでしょうか。
 逆に、日本人がからんでいないと、けっこう大きな事件や事故が海外で発生しても、報道されなかったりする。極端にいってみると、日本人がらみの小さな事故と、国際的には重要である大きな事故が発生した場合、日本の報道だと前者を優先して報道することが多いですよね。
 これだけ日本の社会が成熟して、人の流動化が激しくなり、自己責任で海外に出る人が多くなっている時代に、いまだ報道が「日本人が……」をかなり重視しているのは、なぜなのでしょうか。「だって、俺たち日本人じゃん。だから日本人の動向が知りたいじゃん」ということなのかなぁ。まあ、知りたい人がたくさんいるから、報道されるわけですが……。
 カンボジアで番組協力していたときに痛感したのは、制作側がいかに「日本人がらみ」のものを求めているか、でした。そんな提案が出されるたびに、「カンボジアで日本人を取材してもつまらないので、カンボジア人を対象にしましょうよ」と、私は皮肉をこめていいました。
 うまく表現できませんが、とにかく「日本人が……」報道には違和感があるんですよね。
 
 以上、またまたどうでもいい話でした。
 原稿が届いたら、編集作業の実況を再開します。


追記… ここまで書いてから朝刊を読みました。すると誌面に、知人のFさんとカンボジア人妻の名前があった。娘さんがインターナショナルスクールにかよっていて、お子さんは運よく脱出できたとのこと。
 私はカンボジア滞在中、上智大学のアンコール遺跡調査団で社会調査を担当していました。建築の専門家であるFさんと私は、灼熱の日差しの元、現地で苦楽をともにしました。そんな彼の子どもが事件に巻き込まれていたなんて……。
 「日本人が……」ということではなく、個別具体的に知人が事件に巻き込まれていたのがショックでした。とはいえ、新聞を読まなければ、そのことがわからなかったわけですよね。わかったから、何ができるわけでもありませんが。
 電話くらい、してみようかなあ。