映画「ホテル・ルワンダ」を観る

lelele2006-02-03



さまざまな感想や批評がネット上で書かれている「ホテル・ルワンダ」。
シアターN渋谷(旧ユーロスペース)で観てきました。
以下、感想などを。一部、ネタばらしが含まれますので、観てない方は観てから読んでください。

まず、日本人である私たちが、あまり想定できない状況を知るという意味で、おすすめです。
虐殺の実態を描いた映画といえば、「キリング・フィールド」を私は思い起こします。なぜかというと、第一に、同作品で描かれた国であるカンボジアに、虐殺について関心をもちながら長期で滞在していたからです。第二に、1995年以降は同国の各地でポル・ポト時代に関するフィールド・ワークをやっていたのですが、そのときに虐殺の実態が同作品で描かれたようなものなのかどうか、ということが絶えず参照項になっていたこともあります。

ですから、どうしてもカンボジアルワンダを、あらゆる意味で比較してしまいます。もちろん、作品としての「キリング〜」と「ホテル・ルワンダ」も比較してしまいます。
あまり単純にはいえませんが、この二作品の構成はけっこう似ているような気がしました。平和な日々→突然おとずれる社会変動→不条理な苦難と虐殺→苦難を乗り越えて希望へ。そんな展開ですね。
どちらも元ネタが実話なので、外国人の観客に対して「両国でそんな悲惨なことがあったのか」とすこし思わせるような説得力は、あるような気がします。映画の最後に「この主人公は実在の人物で、いまはどこで何をやっている」というようなテロップが流れるのも両作品に共通しています。このテロップで、「そうか、ほんとにこんなことが起きたんだなあ」と観た人は納得するわけですね。

納得したからどうなんだ、という話は、あとにまわします。私が両作品に共通して「?」と思ったのは、西欧人好みのヒューマニズム映画になっているという点です。「キリング〜」を観たときに感じたのは、こういうことでした。
映画のラストで、主人公が国境を越えてタイの難民キャンプにたどりつく。その主人公がキャンプで仕事をしていると、そこにポト時代の前に主人公を助手として使っていたアメリカ人新聞記者があらわれる。ジョン・レノンの「イマジン」が流れる。そしてふたりは抱擁……。
このシーンは必要ないなあ、と私は思いました。主人公が国境の地雷原を突破して、タイの難民キャンプが見えた時点でやめとけばいいのに。最後の最後にアメリカ人が登場して、「イマジン」がかかって、「アメリカ人の俺には何もできなかったけど、心配していたんだよ。この再会を神に感謝」みたいなノリになるのは、いったいどうなのか?
人生なんて一寸先は闇かもしれないし、光かもしれない。カンボジアという闇を越えたら、たまたまタイの難民キャンプという光があった。それでいいのではないか。難民キャンプが見えた時点で、すでにハッピーエンドじゃないのかなあ……。

ホテル・ルワンダ」の場合は、最後のほうで、国連のバスで主人公がホテルを脱出する。バスはフツ族民兵の支配地域を越え、海外へ脱出するための避難所にたどりつく。そこで主人公は、以前、世話になった赤十字のねえちゃん(西欧人)と再会する。そして、ねえちゃんのおかげで、行方知らずになっていた親戚の子どもに再会できるわけですね。
ここで私は思うわけです。なんで最後に西欧人を出さなきゃいけないのか、と。さらに、たくさん並んでいる子どものなかから、主人公の妻が親戚のふたりを探し出すわけですが、ほかの子どもたちはその再会シーンを、どう思ってみていたのかなどと考えてしまいます。ほかの子は、もしかしたら「いいな〜、あの子は」とか「私たちはどうなっちゃうんだろう」とか思っていたんじゃないのかなあ。
結局、この作品についても、フツ族民兵の支配地域を脱出したところで、やめておけばよかったんじゃないか、と思ったりしたわけです。

ヒューマニズムなんていう西欧キリスト教的な概念は、日本人にはあまり馴染みがありません。それでも私は、学部生あたりまで、「ヒューマニズムが重要だ」などと肩に力を入れていました。でも、カンボジアに長期滞在して、その幻想はずたずたに切り裂かれ、「なんだ、ヒューマニズムなんてないじゃん」と思うようになりました。ヒューマニズムという概念は、人権という概念と馴染みがいいわけですが、やはり「人権なんてないじゃん」とも思ったわけです。
西欧人は、「自分の国にはそれがある」というかもしれません。それはそれで結構。だがしかし、それをほかの国に押しつけてはいけません。人の尊厳の基準とかレベルは、国とか地域によって異なるんですよね。それを普遍化しようとすること自体、かなり違和感のあることだと思いました。カンボジアにいて強く感じたのは、彼らがヒューマニズムとか人権というと、それは宗教と同義語なのではないかと思えてしまうことでした。

両作品は、最低限の人の尊厳が守られなければならない、ということを表現しています。その点では私も同意します。しかし、なんとなく西欧的なヒューマニズムや人権の普遍化を匂わせている点が、ちょっと気に入りません。その匂いが強烈に漂うのがラストシーンだという点で、両作品は共通しているのです。

あと、どこかでルワンダの虐殺よりもひどい虐殺が隠蔽されているのに、たまたま映画でクローズアップされて、ルワンダの虐殺のみが注目されるのはおかしい、という主旨の意見を読みました。
この意見には違和感を感じますが、眠くなってきたので、つづきは元気があるときにでも。

いずれにしても、この映画、一見の価値はあります。結局は他人事なのだけれど、共有できるものが何かないのかを考えたりしてもいい。ただただ漠然と「人って、こんなになっちゃうんだー」などと考えてもいい。「人って、けっこう簡単に人を殺しちゃうんだなあ」などと思うのもいい。ルワンダという国があるってことを、知るだけでもいい。
好評につき、今月いっぱいはシアターN渋谷で上映しているらしいので、お時間があれば、ぜひ足を伸ばしてみてください。