可能性の満ちた論考が、自在に参集する場

lelele2006-02-14


講談社から「RATIO」という雑誌が出ました。突然、amazonの検索で引っかかり、さっそく取り寄せてみました。「本」という雑誌の別冊で、ISBNがついているので書籍扱いの雑誌です。以下、講談社のwebページより「刊行の辞」を部分引用します。「可能性に満ちた論考が自在に参集する場」というスタンスがいいですね。

刊行の辞

RATIOは、そのような新しい思想の可能性を探り、吟味し、検証するために生まれました。
今、来たるべき思想の時代を予見するかのように、日本にも世界にも、新しい思想の萌芽が見られます。若い言論が生まれつつあります。そのような、可能性に満ちた論考が自在に参集する場として、この雑誌が枢要な役割を演じられることを念じつつ、02号、03号と続けていきたいと考えております。

大特集は「アジアのナショナリズム」ということで、表紙には(おそらく)ブーゲンビリアの花が咲く小道の写真を使っています(右上の写真参照)。この写真が、あまりにもカンボジアの中小都市の小道で見かける風景に似ていたのです。それで、なんか懐かしくなってしまい、内容がどうのというよりも、ジャケ買いしてしまったわけです。

デザイン、凝ってますね。表紙は文字の羅列ですが、細いゴシックの隙間からしっかりと写真が見えます。本文は、テーマごと、もしくは論文ごとに組版デザインを変えてあります。デザインについては、全体的に好感を持ちました。

掲載論文が、これまたすごいです。とりわけ、「世界の現代思想を読む」という特集に、ローティの「予想不能アメリカ帝国」やアガンベンの「人間の仕事」という論文の翻訳が掲載されています。エスポジトの「生政治、免疫、共同体」もおもしろそうです。
とりあえず、ローティの論考を読みました。以下、エッセンスの部分を引用します。

私のように、我が国を左派的理想の勝利の象徴として描く物語を作る人々は、合衆国がそれらの理想を実現し広めるために活動する力を保持することを望んでいる。合衆国には他国に干渉する権利はないというチョムスキーに、われわれは同意しない。独裁者に支配された国を制圧してそれを民主国家に変えるために民主諸国の軍事力を使用することは、左派的視点から完璧に擁護できるとわれわれは考える。(「RATIO」1号、講談社、174頁)

このローティーの意見に私は同意できませんが、論文の内容は9.11以降の、そして現在のアメリカを状況を、彼の視点からきっちりと観測しているもので、読みごたえがありました。ほかにも興味深い論考が並びます。
この雑誌にはほとんど広告がなく(巻末の自社広告のみ)、情報量が膨大なので、残りは時間をかけて読もうかと思っています。

きっとお金がかかっているんでしょうね。ブックデザインから書き手の選択まで、かけたお金がかたちになっているのはよくわかります。そして、もちろん編集の技があるからこそ、こうしたかたちで世に出たわけですね。
どれだけの部数を刷っているのかわかりませんが、本体1700円だと、よほど刷らないと元はとれないのでは?
というか、採算を度外視しているような佇まいがあります。
正直にいって、うらやましい。

「RATIO」を手に取りつつ、「よっしゃ〜、来年あたりは書籍扱いの雑誌をやりましょか!」と強く思った次第です。大手であっても、ひとりであっても、出そうと思えば出せますからね。じつは、今年のうちにやろうかと思っていたのですが、『限界の思考』と『デリダの遺言』を一緒に出して、すこし疲れてしまいました。(笑)

みなさんの意見を参考にしながら、じっくりと雑誌づくりの準備しようと思います。