月刊『薔薇族』編集長の伊藤文學さんにインタビューしました!

lelele2006-08-04



ニフティーのココログに「ココセレブ」というコーナーがあります。
そのトップページでは毎週更新で、「ココセレブ」に登録されている方のインタビューを掲載しております。

今週は月刊『薔薇族』編集長の伊藤文學さんへのインタビュー記事が掲載されています。同インタビュー記事は、僭越ながら、私が取材・執筆を担当させていただきました。
よろしければご一読くださいませ。

 ココセレブ伊藤文學さんインタビュー
 → http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2006/08/post_0984.html

 月刊『薔薇族』編集長伊藤文學の談話室「祭」
 → http://bungaku.cocolog-nifty.com/barazoku/

これは前半で、来週木曜の午後に後半が掲載されます。

以下、取材後の余談をいくつか。

まず、会ってお話しをさせていただいた伊藤さんの印象。
なによりもユーモアがありました。伊藤さんは、楽しかったことも辛かったことも、たえずユーモアをまじえながら語ります。そんな語り口からは、やはり三十数年ものあいだ、一貫して一冊の雑誌を出し続けてきた気概と自信を感じるとともに、多くの人から好かれる人気者であったことがうかがわれました。
聞き手の私が出版社をやっていることを知ると、かなり突っ込んで流通や営業に関することを伊藤さんは聞いてきました。それも鋭いツッコミばかり。単に編集者というだけでなく、出版社の経営者としての側面も大いに感じた次第です。

また、記事でも触れていると思いますが、伊藤さんからカミングアウトしていないゲイの見分け方を教えてもらいました。そんなことを知っていても、何の得になるわけでもないのですが。
もっともわかりやすいのは、何も聞いていないのに「私は(俺は)、女好きだから」とみずからいってくる男性。それはそうですよね。ヘテロであれば、そんなことは当たり前のことだから、わざわざいう必要がありません。
寺山修司さんは、自分ではけっしてゲイだと言いませんでしたが、同性愛を語る集会に参加したときに、講演の冒頭で「私は女好き」だと宣言されたそうです。それで伊藤さんは「彼はゲイだ」とピンときたとのこと。

あと、本文ではまったく触れていませんが、伊藤さんは少年愛について、ひじょうに寛容な考え方を持っていました。男が男を好きになるように、女が女を好きになるように、大人が子どもを好きになることもありえる。そして、そういう人は実際に存在する。それを、臭いものにフタをするがごとく、禁止したりなかったことにするのはマズい。そんなことをおっしゃっていたような気がします。

伊藤さんのこの意見については、留保つきで同意します。たしかに、フタをしてしまえば、はけ口がなくなってしまい、それこそ『薔薇族』を書店で買えないゲイの人や結婚して子どももいるゲイの人と同じような立場になってしまいますね。ですから、大人の男性が少年を好きになってもいい、とは思います。
ただし、少年の側からすれば、まだ誰が好きだ嫌いだという判断もつかず、一方的に大人から好かれてしまっても、わけがわからなかったり嫌だったりするかもしれません。少年が好きな大人の男性は、この点については十分に配慮する必要があるかと思います。

そうなると、残された道は、大人の男性が少年に対して「片思い」をする、ということなのかもしれません。片思いをしているという前提であれば、自分が少年愛者であることを世間に表明してもいいと思いますし、それを世間がフツーに受け入れてもいいような気がします。
片思いであることから逸脱すると、そこには犯罪という結果が待ち受けています。少年愛は犯罪と隣り合わせだからこそ、カミングアウトしにくいし、世間からも受け入れられにくくなっているのでは。ならば、しっかりと片思いであることを前提としたうえで、少年愛者であることを表明することがたいせつであるような気もします。

もう一点は、『薔薇族』という雑誌が、一部のゲイの人たちに商業主義であることを批判されていた、ということ。「ゲイをくいものにしている」といった意見ですね。そうした批判や意見は、一応は言論(というか商業出版)に関わる私から見ると、ちゃんちゃらおかしい(by 立花隆)としかいえません。たしかに、雑誌によってゲイの存在が大衆的になり、商業的になったのかもしれません。しかし、その反対側では、インタビューで伊藤さんが語っているようなゲイにとってのプラスの側面もあったわけです。
自分の言いたいことをとおすには、いつでも妥協が必要です。『薔薇族』でゲイが取りあげられることのマイナス面とプラス面を計算し、プラス面が多いのならば、ある程度のマイナス面には妥協するしかないと思います。妥協もせずに、気に入らないからダメだと文句をいうのは簡単ですが、そういう文句は、計算高く着実に物事をすすめている人に対しては、あまり有効ではありません。
そういう「闘い」も裏でおこないながら、三十数年にわたって『薔薇族』を出し続けた伊藤さんを、やはり私は尊敬せざるをえません。

いずれにしても、伊藤さんの最大の問題意識は、マイノリティの存在を世に知らしめ、マイノリティ自身が自立し、世間に受け入れられるためにはどうすればいいのか、というものだと理解しました。その実践のひとつが、『薔薇族』だったのだと思います。

薔薇族』は廃刊になりましたが、最近も二冊の新刊を出し、ふたたびゲイ雑誌をつくる構想を練るなど、伊藤さんはまだまだ元気です。今後の活動に期待するとともに、いつまでも応援していければと私は考えています。