たしかに「ドキュメンタリーは嘘をつく」んですね


葉っぱさん経由で、森達也さんがつくった「ドキュメンタリーは嘘をつく」をYouTubeで見ました。
ちらっと見るつもりが、とてもおもしろくて、最後まで見てしまいました。


ビデオで撮った映像というのは、たしかにリアリティがある「ように」見えます。基本的には、事件でも事故でも、現場にいかなければ映像は撮れないというのもあります。
私はカンボジアで、何度も何度もその「現場」と呼ばれる場所に同行して、ディレクターの指示にもとづいて撮影をするカメラマンの後ろ姿を見て、そうして撮られた編集前の映像を見て、放送された映像を見てきました。
その経験からいえることは、ただひとつ。テレビで流れる映像は、ぜんぶ虚構だということです。これは別に、偉そうな気分で鼻高々にいっているのではありません。すこし考えれば、まったく常識的なことだということがわかると思います。


私が「現場」で何かを見聞きしたとしましょう。映像であれ、文章であれ、音声であれ、それを私が事後的に誰かに対して「そのまま」伝えるということなどできません。小田和正さんのヒット曲ではありませんが、「あの日、あのとき、あの場所」にいた私が、事後的に「あの日、あのとき、あの場所」の状況を説明しようとすると、それはかならず私が見えた部分的な映像や、私が聞いた部分的な音声を切り貼りした程度のものになってしまいます。つまり、「あの日、あのとき、あの場所」で起きたことを再現するのは、まったくもって不可能なことなんです。


ただし、「あの日、あのとき、あの場所」で起きたことのうち、「ここが問題だ!」と意図的に選択したうえで、映像や音声、文章などを主観的に編集し、それを他人に見聞きしてもらうということはできます。「現場」にいると、過去に起きたことを当事者に再現してもらうこともあります。このへんは「再現」と「演出」と「やらせ」の境界線がどこか、判断するのがむずかしいところなんですが。そのように再現した映像や音声もおりまぜながら、あくまでも主観的に使用部分を選択し、つなげて、見聞きする他人に「ここが問題だ!」という部分がわかりやすいようなものをつくったりするわけですね。


考えてみれば、ニュースと呼ばれているものも、同じようなつくりかたで電波にのっかっていたりします。報道局の編集部門には、リアルタイム(といっても、実況中継以外はリアルではないんですが)で入ってくる映像や音声を、主観的にビシバシと切り貼りする編集さんが活躍しています。ニュースだと、さすがにやらせや演出が入り込むことはすくなくなろうかと思います。それでも、たとえ10秒前に起きたことの映像を流すのであれ、過去に起きたことを主観的に選択して報道しています。たいせつなのは、10秒前であれ10年前であれ、過ぎ去った「あのとき」の状況をそのまま伝えることは、ぜったいにできない、ということです。
それこそ弊社で出した仲正さんの『デリダの遺言』には、しつこいくらいそのことが書かれています。


ドキュメンタリーが事実を伝えることなど、あり得ません。伝えられるのは、事実に立ち会った人による、主観的で切り貼りされた映像と音声のみ、です。ドキュメンタリーでこうなのですから、バラエティーや情報番組などが事実を伝えることなど、なおさらあり得ないでしょう。
それでも、私はドキュメンタリーには力があるし、それを創る意味もあるし、それを見る意味もある、と思います。矛盾しているようですが、それが実際に何十本もドキュメンタリーの取材に立ち会った私の本音です。ただし、その力や意味は、やはりドキュメンタリーの虚構性を十分に理解したうえで、はじめて深まるものだと思うのです。


森さんの番組で、アジアプレスの綿井さん(イラクの戦場レポートで一躍有名になったジャーナリスト)も指摘していましたが、現場にいかなければわからないことはたくさんあります。その現場の状況やざわめき、匂い、温度、などなど。すくなくとも、テレビの取材だとすれば、現場にいかないと現場の映像は撮影できません。撮影された映像は、ディレクターやカメラマンが主観的に選択したものであり、カメラフレームの画角の外では、撮影されたものよりもはるかに多くの捨てられた光景があります。そして、現場のほんの一部を主観的に撮影したものが、さらに編集されて放送されたりします。しかしながら、その現場に「いた」というディレクターやカメラマンの経験は、とてもたいせつなものだと思います。


繰り返しますが、現場で撮影した映像や音声を、現場に「いた」というたいせつな経験を元に、ディレクターがみずからの主観的な選択により編集した番組。それがドキュメンタリーとして放送されたりします。そう考えてみると、結局、ドキュメンタリーの質や善し悪し、そして価値を判断する際の基準は、それを作っている「人」にならざるを得なくなります。ようするに、誰がそれをつくっているのか、ということが、もっとも重要なことになってくると思うのです。
それは、当たり前といえば当たり前のことですね。だって、虚構としてのドキュメンタリーが作り手の主観でつくられているのならば、虚構であっても「この人のつくるものは、おもしろい」とか「思考のヒントが隠されている」と思わせる根拠は、作り手本人に還元されざるを得ません。


ドキュメンタリーは嘘をつく」があまりにもおもしろかったため、長々とくだを巻いてしまいました。すいません。言いたいことはただひとつで、テレビ番組に客観などあり得ないが、作り手によっては、主観的につくったものであっても客観性を感じ取ることができるものもあるし、「これが大事だ!」というポイントを気づかせてくれるものもある、ということです。つまり、ドキュメンタリーは作り手次第ということです。
幸い、カンボジアでテレビ業界の方とたくさん知り合い、ある程度は「どの作り手の番組が信用できるのか」を理解しているかもしれない私が実践していることがあります。それは、おもしろいドキュメンタリーを見たら、テレビのエンドロール(番組の最後に制作スタッフの名前が流れるやつ)をちゃんと見て、誰が作ったのか(誰が撮ったのか、までチェックするとマニアックか!?)をチェックしておくことです。


まあ、テレビを見ながら、そんな細かいことを気にする人はあまりいないと思います。しかし、しつこいようですが、「ドキュメンタリーは人」なのですから、良質のドキュメンタリーを見極めるためには、作った人を基準にして、その人を信用しつづけていくくらいしか、私たちにはできないんじゃないのかなあ、と思う今日この頃です。
番組名とか放送局とかでなく、「あのディレクターの番組、今日放送するらしいよ」というような、ディレクター単位の情報(いいディレクターには、いいカメラマンが付いてる場合が多いので、カメラマン単位というのもアリかもしれません)がもっと広く流れたりするような仕組みがあったら、いいのになあと思ったりします。


以下、おもしろかった森さんの番組を紹介しておきます。ぜひ見てくださいね!

メディアリテラシー特番
YouTube - 森達也ドキュメンタリーは嘘をつく』(1〜5)

http://www.youtube.com/watch?v=xhEwhbrmX2E

http://www.youtube.com/watch?v=nOa0x-lcSDQ

http://www.youtube.com/watch?v=bBaLKWH30yc

http://www.youtube.com/watch?v=wlMgG8aWl9Y

http://www.youtube.com/watch?v=rxDyslpbIjM

ドキュメンタリーは嘘をつく

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