ほんとうの和食とは何か 2 ――寿司ポリスを嗤う――


カンボジアの治安は、ポルポト派が崩壊する90年代後半まで、よくなったり悪くなったりの繰り返しでした。
何度か書きましたが、私はカンボジアで現地手配会社を経営しながら、テレビのコーディネーターをやっていました。おもしろいことに、治安がよいと現地手配会社が儲かり、治安が悪くなるとテレビの仕事が多くなる、ということの繰り返しでもありました。

なんだか、旅行産業というのは幸福産業であり、テレビ産業というのは不幸産業なのかなあ、と思ったりもしました。まあ、治安が悪くてもよくても、ある程度の収入が得られるような業務形態だったから、カンボジアでの長期滞在が可能であったともいえます。
渡航自粛勧告とか出てしまった日には、勧告がとかれるまで日本人観光客がひとりもカンボジアにやってこなくなります。それでは、旅行業だけ生業にしていたら即帰国ですね。


治安状態に振り回されながらも、日本人で和食レストランをはじめる人がすこしずつ増えてきました。日本で料理を生業にしていた人が経営する店は、かなり本格的な和食を食べさせてくれました。でも値段が高いんです。一方、日本人でも料理人でない人が経営していたりすると、「なんちゃって和食」とでもいうような擬似和食が出てくる。値段は安い。私は、しばしば前者の店に行き、後者の店にはほとんどいきませんでした。


いずれの店も、従業員との付き合い方に難儀していたようです。接客マナーを教える。お金の管理を教える。そういう基礎的なスタッフ教育をしなければならない状態であるにもかかわらず、日本人オーナーのカンボジア語はおぼつかず、お金をだまし取られたり、店に何度も泥棒が入ったりといったことが多発していました。


オーナーの日本人は、カンボジアという「あらたな可能性のある(かもしれない)土地で、あらたな出発を」と考えて渡航し、腕を活かして和食レストランをやったりするわけです。しかし、かなり高い確率で、現地で安く買える現地の女性(ベトナム人カンボジア人)にハマってしまい、身元のよくわからない女性を家に置いたりして、お金も貴重品も一気に盗まれるというような事件が多発していたんですね。それも、言葉がわからないから、まるで狐につままれたような感じで……。


すこし脱線しすぎました。和食の話にもどします。カンボジアで「まとも」な和食と擬似和食が登場したとき、私は迷わず、高額だけど「まとも」な和食に飛びついてしまいました。理由はよくわからないのですが、日本でよく食べていた当たり前の和食の味を、求めていたんですね。
私はちょくちょく通っていましたが、それでも値段が高いのと、泥棒に入られるなどの災難にあったりして、「まとも」な和食の店は長続きしないんです。別の店ができても、たいていは同じような理由で長続きしない。そうなると、「まとも」な和食はタイのバンコクで食べるしかない、ということになったりするわけです。

〈次回につづく〉