ほんとうの和食とは何か 1 ――寿司ポリスを嗤う――

lelele2007-02-13



ニューズウィーク日本版」の2007年2月14日号。表紙に「ここが変だよ 寿司ポリス」という見出しがおどっていました。一瞬、意味がわかりませんでした。が、「世界にあふれるトンデモ和食」「認証制度のナショナリズム」という小見出しを読んで、意味がわかりました。松岡農水相が正しい日本食を認証する制度をつくろうと言いだしたことをうけて、組まれた特集なんですね。


この和食のお話し、長く海外で暮らした者としては、たいへん興味のあるネタです。
以降、何回かに分けて、カンボジアにはいかにして和食が入り込み、その後どうなっていったのかという話を事例にしつつ、この問題を考えようと思います。


90年にカンボジアで暮らしはじめたとき、和食を売る店なんてありませんでした。日本人が7人しかいなかったのですから当然ですね。
その後、治安が安定し、長期滞在したり観光で訪れる日本人の数が増えてくると、すこしずつ和食レストランを名乗る店が出てきました。


私が住んでいたプノンペンは、昔から日本人がたくさん住んでいて、和食にそれなりの需要があるような海外の都市とは異なります。和食を出す店がまったくありませんでした。そういう国や地域に、どのように和食が入ってくるのかを、現地で暮らしながら興味深く見守っていました。覚えている範囲で、和食がカンボジアにやってきた経緯を記します。


カンボジアではじめて和食レストランを開店したのが、なぜかタイ人だったのをよく覚えています。たしかに、プノンペンで和食の食材を調達しようと思ったら、距離からいってもタイから入れるのがもっとも合理的。内戦のリスクを深刻に考える日本人とは異なり、タイ人や中国人は「儲かる」と思ったらすぐに事業を立ちあげ、「儲からない」と思ったらすぐに手を引くという意味でも、タイ人が和食レストランを立ちあげるのはうなずける話です。


しかし、和食の食材や調味料は、タイに輸入されている時点でかなり高額であり、それをカンボジアに持ってくるわけですから、値段は高くならざるをえません。そこの料理は、街中にある「高級風」の中華やフレンチのレストランにくらべて、数倍の値段がしました。あまりに高いので、当時は月に1回か2回いくのがやっとでしたね。商売が成立していたのは、道路補修でカンボジアにたくさんやってきた、自衛隊のみなさんの貢献があるかと思います。


治安が安定してくると、周辺諸国との物流も盛んになってきました。現地でつくられる野菜の種類も、90年から95年で10倍くらい増えました。こうした条件が整い、日本人の滞在者数が増えてくると、なかには和食レストランで一儲けしようと考える日本人も出てきます。
次回は、日本人による和食レストランがオープンしてからのことや、ほんとうの和食とは何なのか、そして食文化保護主義などについて考えてみようと思います。


〈次回につづく〉