最近、「論座」がおもしろいっすね

lelele2007-06-11



「グッとくる左翼」という特集や、赤木智弘さんの「丸山眞男をひっぱたきたい」への「知識人」による応答が掲載された「論座4月号」(朝日新聞社)は、完売になったと人づてに聞きました。人びとの活字離れがいわれて久しい今日この頃に、論壇系月刊誌が完売することは、ある種の珍事だといえましょう。


いずれにしても、この珍事を引きおこした「論座」は、最近、おもしろくなっていると個人的には思います。月刊誌の定期購読はしていませんが、このところ「論座」はほぼ毎号、買っています。


7月号の特集は「格差、保守、そして戦争。」でした。小林よしのりさんへのインタビューがあり、その小林さんの思想をきっちり分析している中島岳志さんの論考(「思想と物語を失った保守と右翼」)があるのは、とても親切。『中村屋のボーズ』(白水社)の著者でもある中島さん、若手で切れ味のよい論者として、今後もますます活躍するのでは。


雨宮処凛さんの自伝的な論文(「ロストジェネレーションと『戦争論』」)も興味深い内容でした。萱野稔人さんは、赤木さんの立ち位置を理解したうえで、妥当なお話をしています。ほんとうは、もっときっちり「書いて」もらいたかったなあ。


驚いたのは高原基彰さんの論考です。「赤木論文に見られるのは『自分にも既得権をよこせ、さもなくば「戦争」だ』という、恫喝的な不寛容性である」という、4月号に見られたサヨク系オッサンたちと同じようなコメントを、高原さんが記すとは思っていませんでした。
べつに赤木さんの論理を理解せよとか、彼に寛容になれということを、押しつけるつもりはさらさらありません。でも、赤木さんの「恫喝的な不寛容性」を指摘したうえで、「彼は、流動化の後に訪れる『多様性』にも、『創造性』を元手にした市場競争にも、何一つ準備ができていない」と決めつけるのって、どうかと思うけどなあ。まあ、彼が準備できていないと仮定してみても、そういった準備できてない人がたくさんいるという現実が問題なのであって、理論的に赤木さんをバッサリ斬って済む話ではないと思うんですが。


あと、院生のころに100回くらい読んだ『想像の共同体』(NTT出版)の著者、ベネディクト・アンダーソンのインタビューが読めたのは、けっこう嬉しかったですね。


極めつけは、元山梨日日新聞論説委員長・小林広さんの手記「私はなぜ社説を盗用したか」。新聞記者が、なぜ他社の記事を盗用したくなるのか。この盗用問題は、テレビのディレクターが、なぜ「やらせ」をさせたくなるのかということにも通じているような気がします。
実際のところ、新聞の海外支局なんて、記者同士が仲よしクラブをつくったうえで、ある社の記者が書いた記事を、他社の記者が「てにをは」を変えて出稿するなんてことは、ある意味「常識」みたいになっていましたよ。もちろん、私が見聞きしたのは、アジアの某都市にある支局(総局?)なのですが、ある記者が発した「そんなの、どこの支局もやってるに決まってるじゃん」という発言が、いまも耳にこびりついています。


まだ読んでいませんが、「他者のステレオタイプ化をどう超えるか――錯綜する映像イメージ」という鼎談も、タイトルからして興味深いっすね。
というわけで、最近、「論座」がおもしろいんですよ。とはいえ、この先どうなるかはわかりませんので、あくまでも「最近」の「論座」がおもしろいと強調しておきます(笑)。


論座7月号」の目次→ http://opendoors.asahi.com/data/detail/8148.shtml


ちなみに、双風舎の著者筋で「サヨク」に関するシリーズ本をつくろうかと画策しております。あの多忙な方が、2週連続で企画会議に参加してくれました。年内に第一弾を出せればと思っています。ご期待ください!
もうひとつ、ちなみに、企画会議のなかで話題になったのは、「赤木さんの立ち位置や発言をどう評価・理解するのか」ということにより、評価した言論人の現状認識の度合いや社会との距離が如実にあらわれる、ということでした。10月あたりに弊社から本を出す予定の赤木さん。どんな原稿を書いてくれるのか、いまから楽しみです。